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情意の干満
じょういのかんまん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-03 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。
      *
 書物を読み、絵画を見、音楽を聴き、人の話に耳を傾け……而もそれが如何に平凡なものであろうとも、一つの句、一つの色、一つの音、一つの声が、全体の凡庸愚劣卑俗から遊離し昇華して、私の心を打つ。私には全体の見通しがつかず、独立した個々の一部が、偉大なる天才の手に委ねられて、万華鏡の硝子の破片のように――ダイヤのように――閃めく。言葉を信ずべからず、如何なる人の口より発せられたるかを先ず批判せよ、とは真理であるが、ここにはその真理は成り立たない。凡てが誠実の口から発せられる。私の魂は皮膚を剥がれた赤肌である。私は屡々涙ぐんでいる自分をさえ見出す。こういう時私は、批評家ではない。唾棄すべきものをも感嘆するからである。猶更、創作家ではない。反故以下のものをも書きちらすからである。こういう時私は、生活を考えてはいけない。皮相な妥協に甘んずるからである。猶更、社会を考えてはいけない。感傷的な人道主義に陥るからである。私の凡ての精神活動は涙で曇らされる。この涙の曇りを、私はルーソーに見出す。ドストエフスキーに見出す。ルイ・フィリップに見出す。ニイチェにさえも、否大抵の人に多少とも……。そして私の眼には、通俗版画のなかの、キリストを仰ぎ見る使徒たちの眼付が、まざまざと映ってくる。ああいう眼付で彼等はキリストを眺めた筈はない。然し今私は、それに似た眼付で凡てのものを眺める。
 情意の干潮の時なのだ。
 恋人よ、私は君のことを考える。君のやさしい目差しを、君の微笑みを、君の温かい息を、更に、君の存在のなつかしい香りを……。それが、曇り日の夜明の色とぬるま湯の感触とを帯びて、拡がり拡がり、私の世界を包んでしまう。私の周囲に深く立ち罩め、私の視線を遮ぎり、私の心の奥底にしみこんでくる。書を読む私の眼はいつしか空間に放たれ、物を書く私の手はいつしか机上に置き忘れられて、私はぼんやり君のことを夢みている。夢想のなかの君が現実であるか仮象であるか、私は知らない。何れにせよ、私にとっては、君であることに変りはない、君の存在であることに変りはない。無数の思い出と予想とが、空想の自由さと柔軟さを以て浮んでくる。私はそのなかを夢遊病的に彷徨し、催眠状態で君を見戍る[#「見戍る」は底本では「見戌る」]。自ら気付いて驚き覚むることもあるけれど、それは瞬時の隙間で、また君の「色香」に包まれる。言葉からあらゆる慣習の衣を剥ぎ取り原始的赤裸に還元した意味での、君の「色香」に……。斯く君をのみ想うことを、恋人よ、許し給え。
      *
 恋人よ、私はいつしか君のことを忘れている……寧ろ、君を取失っている。探せども見廻せども、君の姿は見えない。それを、漸くにして見出した時の、喜びも束の間、おう何と小さく杳かに頼りなげに、君は淡く薄らいでいく…

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