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長彦と丸彦
ながひことまるひこ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄童話集」 海鳥社
1990(平成2)年11月27日
初出「幼年倶楽部」1941(昭和16)年10月ー12月
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-07-21 / 2014-09-18
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一

 むかし、近江[#ルビの「おうみ」は底本では「おおみ」]の国、琵琶湖の西のほとりの堅田に、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。兄はたいへん顔が長いので、堅田の顔長の長彦といわれていましたし、弟はたいへん顔が丸いので、堅田の顔丸の丸彦といわれていました。
 顔長の長彦は、体がやせて細く、少しも力がありませんでしたが、たいそう知恵がありました。そして、京の都からやって来て、そこに隠れ住んでいる、年とったえらい先生について、いろいろなことを学んでいました。
 顔丸の丸彦は、知恵はあまりありませんでしたが、体がまるまるとふとって、たいそう力があり、むじゃきな乱暴者で、野原や山を駆け廻ったり、剣や弓のけいこをしたりしていました。
 このふたりの兄弟は、いたって仲がよく、互いに敬いあっていました。
 ある年の夏、ひどいひでりがして、琵琶湖の水が一メートル半程もへりました。そのひでりのため、米や芋がほとんどとれませんでしたから、そのあたりの人々は、たいへん困りました。食ものにもだんだん不自由するようになりました。
 堅田の顔長の長彦は、一日一晩、考えつづけました。そしてそのあたりのおもだった人たちに相談しました。
「米や芋は、一年に一度きりできません。このままでは、貧しい人達は、ほんとに食べものがなくなるでしょう。聞くところでは、この湖水のずっと北の方、海に近いあたりは、米や芋がたくさんできたそうです。だから、みんなで金を出しあって、買って来ようではありませんか」
 それはよい考えだと、みんな賛成しました。そしてお金を出しあったので、たくさん集まりました。
 ところが、遠い北の国まで、米や芋を買いにいくのは、たやすいことではありません。まだぶっそうな世の中で、途中でどんな悪者にあうかわかりません。これはぜひとも、力のつよい顔丸の丸彦に、行ってもらおうということになりました。
 そこで、顔丸の丸彦は、湖水の岸に多くの船をしたて、おおぜいの水夫たちをひきつれ、刀をさし、鉄づくりの鞭をにぎりしめた、いさましい姿で、まっ先の船にのりこみ、追い風をまって出発しました。
 この一隊は、琵琶湖をつききり、竹生島からずっと先の方の岸に船をつけ、それから北の国へ行って、米や芋をたくさん買いいれ、人夫をやとって、それを船にいっぱい積みこみました。悪者にもであわず、なにもかもうまくいきましたので、みんなは喜びいさんで、帰りをいそぎました。
 すると、思いがけなく、湖水の上で暴風雨にであいました。見る間に空はまっ黒な雲におおわれ、大粒の雨が降りだし、はげしい風が吹いてきて、湖水には大波が立ちました。顔丸の丸彦は水夫たちをさしずして、多くの船がはなればなれにならぬよう、ふとい綱でつなぎあわせ、岸の方へ進ませようとしましたが、あたりは夜のように暗く、ただ風と波…

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