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将棋の鬼
しょうぎのおに
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 06」 筑摩書房
1998(平成10)年5月22日
初出「オール読物 第三巻第四号」1948(昭和23)年4月1日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-07-01 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。
 手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。
 だから、升田が手がないと思っているところに手を見つける者が現れゝば、その人は升田に勝つ、というだけのことだろう。
 将棋指しは、勝負は気合いだ、という。これもウソだ。勝負は気合いではない。勝負はたゞ確実でなければならぬ。
 確実ということは、石橋を叩いて渡る、ということではない。勝つ、という理にかなっている、ということである。だから、確実であれば、勝つ速力も最短距離、最も早いということでもある。
 升田はそういう勝負の本質をハッキリ知りぬいた男で、いわば、升田将棋というものは、勝負の本質を骨子にしている将棋だ。だから理づめの将棋である。
 升田を力将棋という人は、まだ勝負の本質を会得せず、理と云い、力というものゝ何たるかを知らざるものだ。
 升田は相当以上のハッタリ屋だ。それを見て、升田の将棋もハッタリだと思うのが、間違いの元である。
 もっとも、升田の将棋もハッタリになる危険はある。慢心すると、そうなる。私は現に見たのである。
 昨年の十二月八日、名古屋で、木村升田三番勝負の第一回戦があって、私も観戦に招かれた。
 私が升田八段に会ったのは、この時がはじまりであった。
 手合いの前夜、新聞社の宴席へ招かれた。広間に三つテーブルをおく。三つ並べるのじゃなくて、マンナカへ一つ、両端へ各々一つずつ、離せるだけ離しておいてある。
 これは新東海という新聞社の深謀遠慮で、木村と升田は勝負仇、両々深く敵意をいだいている、同じテーブルに顔を合しては、ケンカにでもなっては大変だという、銀行や一般会社じゃ、こんなことまで頭がまわらぬ。新聞社雑誌社というものは、御本人も年中酔っぱらってケンカしているものだから、こういうところは行届いたものである。
 私と升田は同じテーブルで、こゝは飲み助だけ集る。升田は相当の酒量である。私はウイスキーを一本ポケットへ入れて東京を出発した。升田と私がこれをあけて、升田はそれから、かなり日本酒も呷ったようだ。
 私は酔っ払うと、アジル名人なのである。口論させたり、仲直りさせたり、そういうことが名人なのである。新東海の荒武者もそこまでは御存知ないから、テーブルを三つ離して安心していらっしゃる。ダメである。
 東京の将棋指しは升田は弱い弱い云いよるけど、勝ってるやないか、などゝ微酔のうちは私にブツブツ云っていたが、そのうちに泥酔すると、名手が悪手になる、なに阿呆云うとる、阿呆云うて将棋させへん、木村など、なんぼでも負かしてやる、だんだん勇ましくなってきた。木村…

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