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阿部定さんの印象
あべさださんのいんしょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 05」 筑摩書房
1998(平成10)年6月20日
初出「座談 創刊号」文藝春秋新社、1947(昭和22)年12月1日
入力者tatsuki
校正者藤原朔也
公開 / 更新2008-05-25 / 2016-04-15
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 阿部定さんに会つた感じは、一ばん平凡な下町育ちの女といふ感じであつた。東京下町に生れ、水商売もやつてきたお定さんであるから、山の手の人や田舎育ちの人とは違つてゐるのが当然だが、東京の下町では最もあたりまへな奇も変もない女のひとで、むしろ、あんまり平凡すぎる、さういふ感じである。すこしもスレたところがない。つまり天性、人みしりせず、気立のよい、明るい人だつたのだらうと思ふ。
 この春以来、私の家の女中は三度変つた。そのうち二人は東京の下町そだちで、一人は天理教、一人は向島の婆さん芸者であるが、この二人はどう見ても変質者としか思はれず、ヒネくれたところや歪んだところがあつたが、お定さんには、さういふ変質的なところが少しも感じられない。まつたく、まともな女なのである。お定さんの事件そのものが、さうなので、実際は非常にまともな事件だ。
 僕がお定さんに、なんべん恋をしましたか、と云つたら、たつた一度なんです、それがあの人なんです、三十二で恋なんて、をかしいかも知れないけど、でも一度も恋をしないで死ぬ人だつてタクサンゐるんでせう、と訴へるやうに僕を見た。然し、この恋といふ言葉は、お定さんの自分流の解釈で、お定さんは男が好きだつたことは少女のころから有つたのである。けれども、いつも騙された。相手がいつもダマすつもりで近づいてくる男ばかり、いかにも女らしい、そして人のよい、かういふタイプの人々は、だいたい男にダマされやすいタイプぢやないかと私は思ふ。
 つまり好きな男に好かれた、それをお定さんは恋と云つてゐるので、それがあの人一人であつたといふ。思へば気の毒な人なんであるが、又、お定さんの言ふ通り、でも恋を知らないで死ぬ人だつてタクサンあるんでせう、といふ。その通りである。好きな人に好かれる、ある意味では、そんなことはメッタにないのかも知れない。だから、お定さんがどんなに幸福で、夢中であつたか、名誉も金もいらないといふ一途な性質のものであつたことがうなづける。
 思ふに、お定さんに変質的なところはないが、相手の吉さんには、いくらかマゾヒズムの傾向があつたと思ふ。吉さんは恋の陶酔のなかでお定さんにクビをしめてもらうのが嬉しいといふ癖があつた。一般に女の人々は、本当の恋をすると、相手次第で誰しもいくらかは男の変質にオツキアヒを辞せない性質があり、これは本来の変質とは違ふ。女には、男次第といふ傾向が非常に強い。
 たまたま、どこかの待合で遊んでゐるとき、遊びの果に気づいてみると、吉さんは本当にクビをしめられて死んでゐた。たゞそれだけの話なのである。
 いつも首をしめられ、その苦悶の中で恋の陶酔を見てゐる吉さんだから、お定さんも死んだことには気づかなかつたに相違なく、もとより、気づいて後も、殺したといふ罪悪感は殆どなかつたのが当然である。むしろ、いとしい人が、いとしい/\と思ふ…

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