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蟹の泡
かにのあわ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 04」 筑摩書房
1998(平成10)年5月22日
初出「雑談 第一巻第五号」白鴎社、1946(昭和21)年9月1日
入力者tatsuki
校正者宮元淳一
公開 / 更新2006-06-22 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は中戸川とみゑさんの「ひとりごと」を読んで、私が遺族だつたら、遺言通り燃しちやつたのにな、と思つた。私は「春日」といふこの人の俳句集、日本文学の歴史的な傑作の一つを読んでゐたので、「ひとりごと」のやうな蛇足は燃した方がよかつたといふ考へなのだ。傑作には楽屋裏の知識は必要ではないので、それ自体自立してゐるものであるから、作者の伝記も、名前もいらない、私は文学の世界に流行する楽屋裏的嗜好は最も愛さない。傑作は非情であり、低い意味の人間性は排した方がよいといふ考へだ。
 あいにく私は手もとに「春日」がなく、一つも記憶してゐないので、まともにこの芸術を論ずることができないけれども、これは俳句などゝいふケチなものではなく、文学であり、人間の魂の声である。一人の人間の全部のもの、精神も肉体も魂も本能も血も毒も涙もみんなあげて花となり、ふるさとに呼びかけられた声であり、俳句などゝいふ閑人の閑文字ではない。自然観照などゝいふものを私は文学だと思はないので、とみゑさんの先生に当る宗匠方の十七字を私はたゞ無駄な文字だと思つてゐるに過ぎないのだが、このお弟子さんは根柢的に文字の質が違つてをり、一字一字が人間の切なさ格闘に根ざしてをり、美しく、凄惨で、絶唱といふ感がする。先生の宗匠方のほめ方では足りないので、これは俳句ではなく、人間、文学、といふ立場からとりあげる必要があり、昭和の文学史に逸してならぬ作品だと思つてゐるのだ。
 私はこの作者には一度だけ会つたことがある。牧野信一につれられて厭々ながら中戸川家を訪問したとき(私は中戸川吉二には何度か会ひ、全く俗物だと思つてをり、大キライであつたから、今も)この作者と中戸川氏と某氏と某夫人と花をひいて賭博中であり、この女の人々は冬だといふのに緋チリメン、片肌ぬぎで、チェッと舌打ちしたりベランメエ口調で熱戦中であつた。私は似合ひの馬鹿夫婦だと思つて、大いに軽蔑してしまつたのである。
 あるときどこかで酔つ払つて帰れなくなり深夜に尾崎一雄を叩き起して泊めてもらつた。そのとき尾崎がこの本を読んでみろと云つて私の枕頭へ一冊置いていつた。それが「春日」であつた。私は感動した。あの女の人が。まるで夢のやうな。酔つ払つたせゐかと思ひ、翌日読み直したが、芭蕉以来絶えてない革命的な「人間」俳句を見出したのであつた。
 この作者のあのあさましい淪落の姿を今は別の思ひをこめて思ひだす。まつたくこの作者の現身は破局に身を沈めてをり、淪落のどん底に落ち、地獄の庭を歩いてゐたに相違ない。この地獄をくゞらなければ人間の傑作は書き得ないのだ。そして私は私自身に言ひきかせる。愚かな男よ、然し、もし、お前が真実の文学を書き得たなら、とみゑさんのやうにお前の愚劣な現身も神によつて許されるであらうと。そして、ともかく、絶望するな、と。
 あるとき、牧野信一と中戸川吉二と私…

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