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老嫗面
ろううめん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 02」 筑摩書房
1999(平成11)年4月20日
初出「文芸通信 第四巻第一〇号」1936(昭和11)年10月1日
入力者tatsuki
校正者今井忠夫
公開 / 更新2006-01-13 / 2014-09-18
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 初夏のうららかなまひるであつた。安川はタツノの着物をつめこんだ行李を背負つて我家へむかつた。安川のうしろには、タツノが小さな手荷物をさげ、うはづつた眼付をしてぼんやり歩いてゐた。タツノのうしろには彼女の三人の朋輩が、一人はあくどい紫色の女持トランクをぶらさげ、あとの二人は異体の知れない大包のみそれぞれ一端をつるしあげながら、からみあつてねり歩いてきた。露路の奥から子供の群が駈けだしてきて声援しながら見送るほどの盛大な引越であつた。

 小さな酒場の女主人が駈落した。誰知らぬうちに店の権利を売つてゐたので、翌日から主人が変り、三人の女給が難なく居残ることになつたが、駈落した前主人の姪にあたるタツノの処置に人々は困つた。
 タツノは肺を病んでゐた。二十一才であつた。癇癖が強く、我儘で気まぐれだつた。ひとつのことに長く注意のつづかぬたちで、話の途中にぷいと席を立つてしまふし、腹を立てると食事を摂らずに部屋の暗い片隅に一日坐りとほしてゐた。鞠のやうにはずみきつた時間のあとでは、馴れた人も見破れないまことしやかな嘘をついて人々に迷惑をかけ、自分は半日泣きつづけてゐる習慣だつた。
 新しい女主人はタツノを見ると一目から嫌ひになつた。胸の病が分つたときには、運わるく疫病神に出会つたやうに目をつぶつて逃げのびて、三日のうちに出ていつてくれと隣の部屋から金切声できやん/\喚いた。タツノに恋人のなかつたことが、今となつては人々の頭痛の種になるのであつた。
 安川はかねてからこの酒場の常連で、タツノの事情を知つてゐた。戸の隙間から風がふらふら流れこんできたことと同じやうな様式で、ひとつこの娘を引取つて養つてやらうといふ凡そ無意味な考へが安川の頭一杯にふくらみきつてしまつた晩、彼は妻君の松江の前で、途方もなく立派なことをするやうな勇みきつた愉しさで自分の決意をまくしたててゐたのであつた。「勝手におしよ」と妻君は言つた。蓋し名言。安川も苦笑を洩した。そのくせ「そんなら勝手にするよ」と早速きめてしまつたのは、子供同志の諍ひで相手の揚足をとるでんであるが、五尺の男児みすぼらしい様子であつた。まさかに之が実現しようと思はなかつた松江は、異様な行列が門前にとまり、近所合壁の連中が裏木戸へ走りだして首をつきのばした瞬間も、自分も同じ高見の見物であるかのやうな好奇心を忘れなかつた。然し派手な着物をきて鼻先から額に汗をにぢませた女共が遠慮会釈もなく框の上へどつこいしよと荷物を投げ込み、犬屋の店先であるかのやうに口々に吠え、而して遂にわが良人なる人物が汗にまみれて疲労のどん底にありとはいへ、真剣なることアトラスのごとき重々しさで大きな行李をかつぎこんでくる様を認めた時に、松江は思はずきやッと叫んで台所へと退散した。無意識のうちに下駄をつつかけ、ただフラ/\と外へでた。半分は餓鬼共の遊び場であり、半…

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