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花咲ける石
はなさけるいし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 15」 筑摩書房
1999(平成11)年10月20日
初出「週刊朝日別冊 第三号」1954(昭和29)年8月10日
入力者tatsuki
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-11-20 / 2014-09-18
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 群馬県の上越国境にちかい山間地帯を利根郡という。つまり利根川の上流だ。また一方は尾瀬沼の湿地帯にも連っている。
 この利根郡というところは幕末まであらゆる村に剣術の道場があった。村といっても当時は今の字、もしくは部落に当るのがそれだから、山間の小さな部落という部落に例外なく道場があって、村々の男という男がみんな剣を使ったのである。現今では只見川とか藤原とかそれぞれダムになって水の底に没し去ろうという山奥の人々がどういうわけで剣を学んでいたか知らないが、あるいは自衛のためかといわれている。関所破りの悪者などがとかく山間を選んで横行しがちであるから、たしかに自衛の必要があった。また上野(コウズケ)というところは史書によると最も古くから武の伝統ある一族が土着していたところで、都に事があると上野の軍兵が大挙上京したり、また都に敗戦して上野へ逃げて散ったりしている記録などがある。察するに、そういう一族がこの山間に散じ隠れて剣を伝承するに至ったのかも知れないと考えてみることもできる。ダムの底に沈もうとしている藤原などという部落は特に剣のさかんだったところだが、言葉なぞも一風変っているそうだ。
 沼田から尾瀬沼の方へ行く途中に追貝(オッカイ)という里がある。赤城山と武尊山にはさまれた山中の里であるが、この山中ではこの里が中心のようになっている。
 いつの頃からか追貝に風の如くに現われて住みついた山男があった。剣を使うと、余りにも強い。村民すべて腕に覚えがあるから、相手の強さが身にしみて分るのである。しかも学識深く、オランダの医学に通じて仁術をほどこし、人格は神の如くに高潔であった。ただ時々行方不明になる。そのとき彼は附近の山中にこもって大自然を相手に剣技を錬磨しているのであるが、その姿は阿修羅もかくやと思われ、彼の叫びをきくと猛獣も急いで姿を消したと伝えられている。
 彼の名は楳本法神。金沢の人。人よんで今牛若という。十五にして富樫白生流の奥義をきわめ、家出して山中に入り剣技をみがいた。人体あっての剣技であるから、その人体を究めるために長崎にでてオランダ医学を学び、遂には術を求めて支那に渡り、独得の剣技を自得してこれを法神流と称した。諸国の剣客を訪うて技をたたかわしたが、敵する者が一人もなかったので、はじめて定住の気持を起した。そして山中尚武の地、上野を選んで住んだ。上州に土着しての名を、藤井右門太という。天保元年、勢多郡で死んだが、年百六十八という。多分に伝説的で、神話化されているけれども、天保といえば古い昔のことではない。墓もあれば門弟もあり、その実在は確かなのである。
 法神の高弟を三吉と称する。深山村の房吉、箱田村の与吉、南室村の寿吉である。これに樫山村の歌之助を加えて四天王という。この中で房吉がずぬけて強かった。
 房吉は深山村の医者の次男坊であったが、小さい…

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