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武者小路氏のルナアル観
むしゃのこうじしのルナアルかん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集19」 岩波書店
1989(平成元)年12月8日
初出「演劇新潮 第一年第八号」1924(大正13)年8月1日
入力者tatsuki
校正者Juki
公開 / 更新2006-04-06 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 本誌七月号に「読んだ戯曲六篇について」批評の筆を取られた武者小路氏は、たまたま、拙訳になるルナアルの「日々の麺麭」に言及されてゐる。
 先づ、訳者としてあれを読んで下さつたことを感謝する。そしてそれについていつもながらの直截な議論に接したことを幸せに思ふ。
 あの訳文を、あれだけに買つて頂けば、訳者として瞑すべきである。たゞ、ルナアルに親炙する僕として、武者小路氏のルナアル観には、一応註釈を附けて置きたい気持がする。
 武者小路氏とルナアル――かう並べて見たゞけでもなかなか興味があるではないか。
 武者小路氏は尊敬すべき楽天主義者である。人類を愛すること神に近き人である。――ルナアルは聡明なペシミストである。「自分も人間でありながら、その人間が自分を人間嫌ひにする」といふ人間である。――武者小路氏は人間の偉大さを信ずる人である。その弱さのうちにさへ美しさを求める人である。――ルナアルは人間の愚さを嗤ふ人である。真実らしさのうちに醜さを見出す人である。――武者小路氏は、相手がわかるまで言ふ人である。――ルナアルは同じことを二度言ふのをうるさがる人である。半分だけ云つて、あとはわかつたらうと云ひ兼ねない人である。――芸術家としての武者小路氏は自然を矯めようとする人である。此の意味で理想主義者である。――ルナアルは「自然によらなければ書かない」人である。この意味で現実主義者である。――武者小路氏は「高遠な問題」に興味を有つ人である。――ルナアルは「機微な問題」に眼を向ける人である。――武者小路氏は、ものを大きく抱き込まうとする人である。――ルナアルは、ものゝ急所を掴まうとする人である。
 扨て武者小路氏は、ルナアルの「日々の麺麭」は、「頭から感心すべきものでない」と云はれる。――勿論、さうなければならぬ。若し、武者小路氏が、頭から之に感心されたら、折角の武者小路氏が武者小路氏でなくなるわけである。
 処で、その頭から感心すべからざる理由として、此の作に、享楽気分の多いこと、人生に触れ方の足らないことを挙げてをられる。
 享楽気分とはなんですか。何を享楽してゐるのですか。人生をですか、芸術をですか。――もつと厳粛であればいゝのですか。どう厳粛であればいゝのですか。あの「微笑」がお気に召さないのですか、聡明なるペシミストの微笑が。――それはよくわかります。
 人生に触れ方が足りないとは、どう触れ方が足りないのですか。ルナアルの人生観が浅薄だとおつしやるのですか。それとも、誤つてゐるとおつしやるのですか。人生の観方は一つでなければならないのですか。人生は必ず、武者小路氏の観られる如く観なければならないのですか。ルナアルの芸術は、常に、一種の禁欲主義的思想に彩られてゐます。武者小路氏は、そこを不満に思はれるのでせう。――それならよくわかります。
 以上が、武者小路氏のル…

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