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新劇の大衆化
しんげきのたいしゅうか
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集23」 岩波書店
1990(平成2)年12月7日
初出「東京朝日新聞」1937(昭和12)年5月29日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-08 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 商業劇場の口吻を真似て、所謂新劇団体が、なにかと云ふと脚本難を訴へてゐる。そして、とゞのつまり、西洋劇の翻訳といふことになる。「大物主義」で行くのが興行成績をあげる唯一の道だと思つてゐるからである。
          ×
 勿論、書きなぐりの片々たる創作ものは、どういふ意味からも新劇を育てる力はないのだが、度々云はれてゐる通り、翻訳劇時代は一応過ぎたものと考へねばならぬ重大な理由が今日ほど明らかにされたことはない。第一に、従来あれほどの抱負をもつて続々上演された翻訳劇は、一方観客層を限定し、一方、俳優の演技を畸形化してしまつたのである。
          ×
 ところが、最近、僕は若干の実例によつて、新劇は俳優がうまくなることによつて、先づ大衆化するものであり、同時に、俳優にその人を得さへすれば、脚本難は、たちどころにとまでは行くまいが、次第に解消されるものだといふ僕の持論を裏書きすることを得た。
          ×
 新協劇団所演の「北東の風」は、新劇として近頃誰がみても面白い芝居であつた。女子供を除いて、これなら新劇もみられるといふものになつてゐた。つまり、主題の普遍性、人物の類型ならざる典型、よく調べられた白などを二三の中心的な俳優が、殆ど完璧な「現代的演技」をもつて見物の前へ押し出してゐた。滝沢、小沢級の俳優が四五人もゐれば、新劇団は、立派に職業化し、しかも、脚本に事欠く筈はないのである。



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