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危機を救ふもの
ききをすくうもの
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「劇作 第三巻第十号」1934(昭和9)年10月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-10-23 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 無力な新劇団が乱立し、互に仕事の邪魔をし合つてゐるといふ状態も決して悦ぶべき状態ではないが、それが新劇直接の病根だとは、僕は思はぬ。それをさうさせた原因は、もつと遠くにあり、数個の劇団の大同団結は、幾分の補強工事になるかもしれぬが、将来発展の見通しは、僕にはつかぬ。
 従つて、村山知義氏等の提唱する劇団の大同団結案に対しては、僕は傍観者的賛意しか表明できぬが、その運動の輪郭的意義については、即ち、新劇関係者の親睦連絡研究機関の設立といふ題目に関しては、双手を挙げて歓迎するものである。
 僕は去る二十日、該運動の実行委員から切なる勧誘を受けて、所謂発起人の一人たることを承諾し、この会合に出席したのであるが、運動の趣旨及びその準備の経過なるものを詳細に聴取し、委員諸氏の熱意と努力に敬服した。率直に云つて、劇団の大同団結といふ目的は、今のところ満足に達せられたとはいへぬが、それは最初から楽観を許さぬことがらで、寧ろここで、運動の重心を移動させることによつて、委員諸氏の抱負はより一般的な支持を得ることになりはせぬかと考へた。
 事実、単一劇団の結成といふ目標に向つては、現今の情勢に於て、新劇団関係者全体の希望と興味を集中させることは、あらゆる意味で不可能であり、その精神をすら理解せしめる方法はないやうに思ふ。
 なぜなら、その単一劇団の指導及び管理は誰がするかといふ点になると、村山氏の答へは、甚だ理想的すぎる。一劇団の存在は、あらゆる「芸術的傾向」の人々を満足させ得るといふことはあり得べからざることで、たとへ如何なる考慮が払はれてゐるにせよ、近き将来に於て、最も「近くにあるもの」が、実質的指導権を握り、その偏向は直ちに、これに反する側の人々を失望或は反撥せしめるにきまつてゐる。或は仮にその劇団が、日本新劇を代表する立派な劇団たり得たとしても、そのためには、殊更新劇関係者と称するものの大部を、置去りにしなければならないのである。従つて、その劇団と個人的利害を倶にし得ない人々は、それぞれの好みと才能に応じ、自分に適当した劇団の誕生を促すといふのが自然の勢であり、この法則に反して、何人をも単一劇団の支持者たらしめようとする計画は、理想としてもやや首肯し得ない点がある。しかし、僕は、現在強力にして無色なる一劇団を誰かが作るといふ場合には、それに賛成し、声援を惜まぬのであつて、この指導精神が、万一、僕自身の主張と隔つてゐても、それが新劇の、分野を堂々と開拓して行く限り、その成長に力を藉すのは当然である。
 しかし、それは、「演劇のために演劇を愛する」もののみが取り得る態度だ。
 そこで、僕は、一般の新劇関係者に提議したいのだが、村山氏等の計画を最も有意義ならしめるために、単一劇団の結成といふ課題を寧ろ先決問題とせず、広く新劇に関係する団体及び個人を網羅して、それらの連絡親睦…

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