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内村直也君の『秋水嶺』
うちむらなおやくんの『しゅうすいれい』
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「築地座 第二十九号」1935(昭和10)年10月26日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-11-16 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 内村君の処女作『秋水嶺』は、非常に素直な力作である。戯曲といふものに十分興味をもち、しかも卑俗な方向をねらはずに、舞台の芸術的効果を計算して作り上げられてゐることがわかる。
 所謂「お芝居」をさせずに、必要な筋の起伏を盛るといふことは、作者の文学的才能と人生的経験に俟つ外はないが、内村君の若さは、たしかにこの題材の前で汗を流してゐるやうに思はれる。経験の世界と想像の世界とが、年齢を境界として目立つた一線を劃してをり、主題の全貌が観念の露出のままに終つてゐる個所がないとはいへない。にも拘はらず、作者が企図し、寧ろ主要な目的とした生活環境の描写には、特殊な観察を以て組立てられた地方色とその底を流れる青春のノスタルジイが、多少月並ではあるが、可なり執拗に、従つて、ある迫力を以て、一貫した快適なリズムを形づくつてゐることは見逃せない。
 人物としては、やはり、篤と三郎、この二人の青年の対照が面白い。意識的に与へられたそれぞれの性格よりも、作者が無意識的にこの二つの生命に織込んだ自分自身の姿、その思想、趣味、気分、いづれも、現代青年の一部を代表する空気のやうなもの、それが最も客観的な角度から捉へられてゐることは、たしかに、作者の文学的素質から来たものであることを保証し得るのである。
 この作品は、要するに、未完成品であると同時に、いろいろなものを約束してゐる点で注意すべき作品であるが、今度、これを築地座で上演するに当つて、作者と協議の上、若干筆を入れてもらつた。稽古中、様々な問題が作者の前に提出され、珍らしく波瀾に富んだ演出であつた。
 私は非常に忙しかつたのと、信頼すべき協力者阿部正雄君を得たので、稽古の殆ど大部分は、阿部君の努力に期待した。
 二ヶ月に近い稽古は、有意義に行はれた。演出者の目標に舞台を近づけることの困難は、一般に俳優がその責任を負ふべきものとされてゐるが、阿部君の演出振り――寧ろ俳優の指導振りは、正に、自分が全責任を負ふかの如き概を示してゐる。同君の熱意は、文字通り舞台を燃え立たせ、俳優諸君もよくこれに堪へた。人事を尽したといふべきである。
 序に装置のことを一言すれば、元来「新劇」の舞台は、「新劇的装置」を必要とする筈なのに、これまでは、専門装置家の好意に甘へて、職業舞台の「贅沢な装置」をそのまま採用してゐる傾きがあつた。
 今度、われわれは、その点にも一つの試みを断行し、装置のプランは演出者自身の手でこれを案出し、装飾的部分で画家の協力を求めることにした。幸ひ、僕と親しい中川紀元氏が、その闊達自在な筆を以て、曾遊の地朝鮮の「色」を出してくれることになつた。二重の意味で、一般観客諸君の注意を促したいと思ふ。(一九三五・一〇)



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