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懐疑的宣言
かいぎてきせんげん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「読売新聞」1930(昭和5)年2月15日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-12-13 / 2016-05-12
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この二三年来、私の読んだもののうちで、ジユウル・ルナアルの日記ほど、私の心を動かしたものはない。
 私は決して、彼を所謂「偉大な作家」だと思つてはゐなかつた。しかし、これほどまでに「人間の小ささ」を悉く具へてゐる男だとも思はなかつた。私はこの日記を繙くに当つて、忽ち眉を寄せ、脇の下に汗をさへかいた。その偏狭さ、傲慢さ、嫉妬深さ、名声への卑俗な執着、病的なエゴイズム……彼は、誠に、憫笑に値する人物である。ところが、これらの「醜さ」を暴露しつゝ、その「醜さ」の陰に、燦然と光るものを覗かせてゐる。私は、思はずホツとした。彼は、人が自分に向つて云ふべきことを、自ら自分自身に言つてゐる。しかも、その態度には、懺悔風の女々しさもなく、露悪的衒気もない。彼は、そこではじめて持ち前の「正直さ」を発揮してゐるのだ。そして、その「正直さ」が、運命的とさへみえるところに、この日記全巻に漲る「恐ろしさ」があり、人間ルナアルの不思議な魅力が潜んでゐるやうに思はれる。
 自ら「小作家の頭目」を以て任じ、音楽と美術には縁なき衆生と公言し、人間、わけても自分の母親を嫌ひ、社会主義に楯つきながらジヨオレスを愛し、自然派の仲間に入れられながら、ユゴオとロスタンを讃美し、裕かだと思はれるから貧乏をし、健康さうにみえて、実は病苦に悩んでゐる彼を思ふと、私は、こゝに再び、最も愛すべく親しむべき一人の作家を見出すのである。レオン・ドオデの言葉の如く、彼こそ、あらゆる意味に於て「小ささ」による「偉大さ」への道を示し得たユニツクな作家だ。
 四巻に亘る日記は、彼の死後十五年、その全集の刊行と同時に出版されたもので、日記兼ノートといふ風変りな形をとつてゐる点、殊に、赤裸々に自己解剖と容赦なき周囲への悪罵に満ちてゐる点で、最近、仏国文壇のセンセイシヨンを捲き起した。ある批評家の如きは、この日記こそ、ルナアル全集中の最大傑作なりと叫んだくらゐである。日記の日付は、一八八七年六月、彼が二十三歳の時から始まり、一九一〇年四月、臨終の一と月前に終つてゐる。何れ、完訳したいと思つてゐるが、こゝでは第一巻の中から、少しばかり見本をお目にかけておかう。
 一八八八年十一月十五日
 友達といふものは着物のやうなものだ。摺り切れる前に脱いだ方がいゝ。さもないと、向ふから離れて行く。
 十二月二十九日
 如何に多くの人間が自殺を思ひ立ち、そして写真を破るだけで満足したことか。
 一八八九年四月四日
 ユイスマンス作「ヴアタアル姉妹」。これは亜鉛のゾラ、擬ひの自然主義だ。
 四月十日
 ブウルジユワを唾棄するのはブウルジユワ的だ。
 五月二十九日
 人間! あゝ、もう小便が出たくなる。
 一八九一年三月七日
 おれはなんにも読まない。いゝものにぶつかるのが怖いので。
 おれの微笑は黄疸にかゝつてゐる。
 一八九六年八月(日付なし…

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