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クロムランクとベルナアルに就いて
クロムランクとベルナアルについて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「近代劇全集第二十一巻」第一書房、1930(昭和5)年8月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-12-13 / 2016-05-12
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 欧洲大戦後、即ち千九百二十年から二十三年にかけて、仏蘭西の劇壇は空前の開花期を現出し、その間に、有為な新作家が相次いで「問題になる作品」を発表した。
 クロムランクの「堂々たるコキュ」と、ジャン・ジャック・ベルナアルの「マルチイヌ」とは、サルマンの「幻の魚」などと共に、当時の批評壇を賑はしたものである。
 ところが、今日、これを読み返してみると、「堂々たるコキュ」の方は相変らず面白いが、「マルチイヌ」の方はどうも感心できないといふ、甚だ残念な結果を発見して、訳者たる私は、しばらく途方に暮れた。感心できないものを訳すのは実際辛いものである。殊に翻訳といふ仕事を、幾分「楽しみ」にやつてゐるものにとつては!
 なぜかういふものを訳す気になつたか?
 ジャン・ジャック・ベルナアルといふ二十歳そこそこの作者が「マルチイヌ」といふ作をガストン・バチイの率ゐる新興劇団「ラ・シメエル」の舞台に上せた時(一九二二年)そして、その評判が相当高く、殊に、「沈黙派」といふ演劇の一傾向が、これによつてその見本を提出したのだと知り、私はわざわざサン・ジェルマン通りの小さなバラックを訪れたものである。
 そして、その時は、なるほど、かなり清新な芸術的感銘をうけて帰つた。
 その後、私は、同じ作者の「旅の誘ひ」(一九二四年)といふ作を読み、そこに一段の進境と、エドモン・セエの所謂 grande ligne(大きな系統)に属する作家の素質とを感じ、ひそかに未来の大成を期待してゐた。
 第一書房の全集中に、ベルナアルの代表作を加へる案に躊躇なく賛成し、「旅の誘ひ」を私が受け持つことをうつかり承諾してしまつた後、「旅の誘ひ」は、既に白水社から川口篤君の訳が出てゐる以上、二重に出す必要はないといふ理由で、第二作の「マルチイヌ」を私がやる決心をしたわけである。
 決心をして、取りかかつてみると、どうも最初上演の時得たやうに清新な感銘は得られない。のみならず、あの妙に「中学生の演説」然たる調子が鼻につき、沈黙派とは、結局、「思はせぶり第一」に過ぎないやうな気がして、少々、こつちが照れ臭くなつて来た。
 しかし、この作品が上演された当時、批評家は、この「甘さ」に眼をつぶり、一斉に好意ある讃辞を呈したことを想ひ起し、時代と作家の運命といふ問題に就いて考へた。
 ある批評家はかうも言つた――「音もなく咲いて音もなく凋む一輪の花の命を、ある限られた時間に観察することができるとしたら、それは恐らく、彼の戯曲を観ることになるであらう……」と。
 実際、彼の企てたところは、あくまでも蕭やかな魂の囁きに耳を傾けることであり、繊細な暗示に富む心理描写の、清澄な詩的表現によつて、「沈黙」の底にひそむ人生の姿を掴まふとすることであらう。しかしながら、彼の早熟な才能は、父トリスタン・ベルナアルの血を享けてゐる証拠を示すだけ…

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