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二つの戯曲時代
ふたつのぎきょくじだい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集27」 岩波書店
1991(平成3)年12月9日
初出「近代戯曲選」東方書房、1948(昭和23)年1月15日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-07-15 / 2014-09-21
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 すべての革新運動と同様に、演劇の革新運動も亦、精神と形式とがつねに相伴ふものとは限らない。ことに、芸術の分野に於ては、その精神と称するものが、往々にして、観念の遊びに過ぎなかつたり、または、単なる感覚のニュアンスにとどまつたりすることがあり、また、いちがいに形式といつても、技法の末にこだはることや、衣裳の新奇を衒ふことにつきる場合、これは、本質的に云つて芸術の革新の名に値しないものである。
 従つて、近代の演劇史をひもどくものは、旧きものが如何に滅び、新しきものが如何に生れたのかを知ると同時に、旧きものは旧きが故に滅んだのではなく、新しきものは、突如として旧きものに代つたのではないことを学ぶであらう。そして更に、いつの時代に於ても、先駆者は、多くは、先駆者としてだけの業蹟をしか残さず、言はゞ不滅なもの、比較的生命の長いものをすら創らずして時代の波のなかに没し去つてゐるのである。
 これに反し、真に時代を画するやうな作家とは、もとより、その新しさと力強さとによつて一世の視聴をあつめ得たものを言ふのであるが、演劇革新のためにも、おのづから、かの先駆者どもの成し遂げ得なかつたところ、即ち方向を示すだけでなく、困難な道を切り拓くといふ、それにふさはしい才能のみに課せられた大きな役割を果してゐる。
 演劇の革新も、すべての革新と同様、こゝまでいかなければ真の革新とは云ひがたく、かゝる革新にはまた、恒に、精神と形式との並行的な進化がみられ、両者の不可分の関係が明瞭に保たれてゐる筈である。
 以上述べたやうな観点に立つた一国の演劇史の叙説は、まだ何人によつても企てられてゐないやうに思ふ。私はこの小論に於てむろんそれを試みる用意はないが、この選集を編むに当つて、私の脳裡を去来した演劇史論的理念を先づ最初に掲げておくことは必ずしも無駄ではないやうに思ふ。



 わが国の演劇は、誰でも感じるやうに、現在では主流といふやうなものをひと口にきめることは困難である。
 だいたい、演劇の種別(ジャンル)の分け方からして、欧米諸国の慣例にそのまゝ傚ふことはできず、さうかと言つて、わが国独特の分け方がはつきりあるわけではなく、そのへん、ずゐぶん曖昧模糊としてゐる。
 西欧の「古典劇」に相当するものとして、能狂言と歌舞伎とを挙げることに異存はあるまいが、この二つは、二つながら、いくぶん楽劇としての要素を含み、さうなると、欧米の歌劇乃至舞踊劇の領域に踏み込むことになる。ところで、歌舞伎のうちのあるものは、殆ど純然たる科白劇であり、西欧の浪漫劇に匹敵する地位を占めるとして、その系統を引いた「新派劇」なるものは、時代的な変遷に拘らず、その芸質から云へば、いはゆる「新劇」との間に截然たる区別をつけなければならぬ。
 そこで、いはゆる「新劇」の問題であるが、これは、普通云はれてゐるやうに、…

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