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演劇への入口
えんげきへのいちぐち
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「演劇」毎日ライブラリー、毎日新聞社、1952(昭和27)年4月20日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-04-22 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 演劇について語るということは、演劇のある部分について語るということではない。
 演劇がいろいろの要素から成っていることはたれにでもわかるが、それらの要素がどんな関係において組み合わされているか、ということは、専門の道にはいってみなければ容易にわからない。
 演劇は総合芸術なりという説も、一応は成り立つけれども、文学、美術、音楽というような各種の芸術が、ただ、ある割合で混ぜ合わされているのではもちろんない。それらの芸術をいかに深くきわめていても、それだけで演劇はつくり出せないし、また、味わいつくせるものでもないのである。
 こう考えてくると、演劇について正しい知識をうるためには、演劇の一つの窓から、その中をのぞくようなことをしないで、演劇全体のすがたを大きくつかんで、そこへはいっていくたしかな道を自分で捜すことが大切である。
 つまり、演劇全体のすがたを、どういうふうに読者に印象づけたらいいか、それをまず私はくふうした。
 そこで、六人の専門家によって、それぞれ、演劇の六つの見方を分担してもらう案をたてた。
 この六つの見方によって、あらかじめ、演劇の正体なるものを誤りなく見とどけ、その上で、各自の好みによって「おもしろい芝居」を見、各自の才能に応じて、「舞台芸術の一分野」を開拓すればよいのである。

 われわれは、手近にあるものを、偶然選ぶことで満足してはならないと思う。
 演劇は、いつの時代でも、民衆の生活と欲求とを反映するものであるが、時として、それは、ゆがめられた政治や、卑俗な商業主義によって、民衆自身の真の希望を裏切るようなものに堕落する。民衆はしばしば「あるもので間に合わせる」習慣になじむところから、常にきびしい注文を持ち出すことを忘れてしまう。
 日本の演劇の水準が、どの程度のものかということは、もちろん議論の余地はあるが、少なくとも現代人の生活に根をおろし、そこから健かに伸び育ったというものは、ごくわずかしかない。
 演劇のほとんどすべてが、興行者の手中に握られているという状態も、おそらく、近代社会に類をみないところである。
 公共的な性質を帯びた演劇活動が、なぜ日本には起らないか? 政治家の無定見もさることながら、やはり、民衆の演劇に対する理解が薄いところから来るともいえる。
 公立劇場のない文明国は、世界に一つもないし、自治体たる都市の経営する非営利的劇場の設立は、今や、時代の趨勢である。東京都が数年前から、「都民劇場」の名で、会員制度の観劇グループを作り、目ぼしい公演を選んで入場料の一部負担を実行しているのは注目に値する。
 日本では、大蔵省が反対するというだけの理由で、研究的な、あるいは、報酬を当てにしない試演程度の演劇にも、十割の税をかける。古典や優秀な現代劇の上演には国庫の補助を与えている国々の例を、われわれはただうらやむばかりで…

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