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逃げたい心
にげたいこころ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「文藝春秋 第一三年第八号」1935(昭和10)年8月1日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-07-08 / 2016-04-04
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 蒲原氏は四十七歳になつてゐた。蒲原家は地方の豪農で、もとより金にこまる身分ではなかつたが、それにしても蒲原氏のやうに、四十七といふ年になるまで働いて金をもらつた例がなく、事業や政治に顔を出した例もなく、かういふ身分の人々にありがちな名誉職にたづさはつた例もないといふ人は珍しいに相違なかつた。蒲原龍彦の名前は門札のほかに存在しないやうなものだつた。
 勿論働かないことをもつて一生の主義とするといふやうな尤もらしい主張があつたわけではなく、むしろあべこべに、元来主張するところのものを何一つ持てないほど無気力で弱気で、そのうへ生活の金には全然こと欠かないところから、ずるずるべつたり四十七年ぼんやり暮したわけであつた。平凡無難といへばこの人ほど平凡無難な金持もないわけで、類ひのないほど人が好かつた。
 蒲原氏の顔を描くには、まづ福々しい一つの円を想像し、そこへ小粒な、然しこれもまるまるとした目鼻口をちよぼ/\と落すだけでいいのであつた。したがつて胴も手頸も赤子のやうにまるまるとして、ちやうど呑気な、至つて無邪気な、象の子供のやうであつた。
 蒲原氏は歩んど書斎に暮してゐた。読書をしたり、かれこれ二十年このかたの書き物をつづけてゐるといふのであつたが、極めて貞淑な、一心同体の蒲原夫人でさへ書き物のことは全然黙殺しきつてゐて、その完成に期待をかける人物はまさしく地上に一人もなかつた。朦朧と書斎にとぢこもつてゐるばかりで、文字一つ書いてゐるわけではないのだと人々は笑ひながらひどい噂をするぐらゐで、何を書いてゐるのやらその題目さへ殆んど人々は忘れてゐたが、きくところによれば「埋もれたる平凡な市井人の歴史」とかいふ題目の由で、これまでの歴史が主として非凡人の歴史であり非常事の歴史であることにあきたらず、青史の外に埋もれた平凡にして善良な市井人のために、そのささやかな、然し各々の精根を傾けた感情や善行の数々を彰顕して、一篇の真に泪ぐましい人間史を描きださうといふのであつたが、あひにく埋もれた市井人の生活を示してくれる文献が殆んどなかつた。あるにはあつたが、あひにくのことに文献の殆んど全部が詩・劇・小説なぞといふ不倶戴天の仇敵で、自家一生の著作が厳密な科学的労作であつても、詩・劇・小説のたぐひのやうな生来浮浪性を帯びた作物である筈はないと固く心に信じてゐた蒲原氏にとつて、まさしく致命的な伏兵であつた。然しながら事実に於て市井人のささやかに燃えさかり埋もれていつた感情を書き残したものは文学のほかになく、要するに埋もれた市民達の感情は、各々の時代に各々の詩人によつて生き生きと語り綴られてきたことを厭々ながら納得しなければならなかつたとき、「埋もれたる平凡な市井人の歴史」と題する死んだ記録を綴るよりも、血の通つた自叙伝を遺す方がよつぽど自然だと疑ぐりだしてしまつたところで、蒲原…

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