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曙覧の歌
あけみのうた
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「子規選集 第七巻 子規の短歌革新」 増進会出版社
2002(平成14)年4月12日
初出「日本」日本新聞社、1899(明治32)年3月22日~24日、26日、28日、30日、4月9日、22日~23日
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-03-28 / 2014-09-21
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 余の初め歌を論ずる、ある人余に勧めて俊頼集、文雄集、曙覧集を見よという。それかくいうは三家の集が尋常歌集に異なるところあるをもってなり。まず源俊頼の『散木弃歌集』を見て失望す。いくらかの珍しき語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。次に井上文雄の『調鶴集』を見てまた失望す。これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套に堕ちず真淵、景樹の[#挿絵]臼に陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事俗事を捕え来りて縦横に馳駆するところ、かえって高雅蒼老些の俗気を帯びず。ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆を[#挿絵]くもの、もって識見高邁、凡俗に超越するところあるを見るに足る。しこうして世人は俊頼と文雄を知りて、曙覧の名だにこれを知らざるなり。
 曙覧の事蹟及び性行に関しては未だこれを聞くを得ず。歌集にあるところをもってこれを推すに、福井辺の人、広く古学を修め、つとに勤王の志を抱く。松平春岳挙げて和歌の師とす、推奨最つとむ。しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋の中に住んで世と容れず。古書堆裏独破几に凭りて古を稽え道を楽む。詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中の不平は他に漏らすの方なく、凝りて三十一字となりて現れしものなるべく、その歌が塵気を脱して世に媚びざるはこれがためなり。彼自ら詠じて曰く
吾歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声する夜の窓
灯火のもとに夜な夜な来たれ鬼我ひめ歌の限りきかせむ
人臭き人に聞する歌ならず鬼の夜ふけて来ばつげもせむ
凡人の耳にはいらじ天地のこころを妙に洩らすわがうた
 何らの不平ぞ。何らの気焔ぞ。彼はこの歌に題して「戯れに」といいしといえども「戯れ」の戯れに非るはこれを読む者誰かこれを知らざらん。しかるをなお強いて「戯れに」と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛の涕涙を湛うるを見るなり。吁この不遇の人、不遇の歌。
 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記』の文に詳なり。その文に曰く
橘曙覧の家にいたる詞
おのれにまさりて物しれる人は高き賤きを選ばず常に逢見て事尋ねとひ、あるは物語を聞まほしくおもふを、けふは此頃にはめづらしく日影あたたかに久堅の空晴渡りてのどかなれば、山川野辺のけしきこよなかるべしと巳の鼓うつ頃より野遊に出たりき、三橋といふ所にいたる、中根師質あれこそ曙覧の家なれといへるを聞て、俄にとはむとおもひなりぬ、ちひさき板屋の浅ましげにてかこひもしめたらぬに、そこかしこはらひもせぬにや塵ひぢ山をなせり、柴の門もなくおぼつかなくも家にいりぬ、師質心せきたるさまして参議君の御成ぞと大声にいへるに驚きて、うちよりししじもの膝…

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