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柊の垣のうちから
ひいらぎのかきのうちから
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 北條民雄全集 下巻」 東京創元社
1980(昭和55)年12月20日
初出「新女苑」1938(昭和13)年3月
入力者Nana ohbe
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-10-17 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 心の中に色々な苦しいことや悩しいことが生じた場合、人は誰でもその苦しみや懊悩を他人に打明け、理解されたいといふ激しい慾望を覚えるのではないだらうか? そして内心の苦しみが激しければ激しいほど、深ければ深いほど、その慾望はひとしほ熾烈なものとなり、時としてはもはや自分の気持は絶対に他人に伝へることは不可能だと思はれ、そのために苛立ち焦燥し、遂には眼に見える樹木や草花やその他一切のものに向つてどなり泣き喚いてみたくすらなるのではあるまいか? 少くとも私の経験ではさうであつた。
 或はまた、かうした苦悩の場合のみではなく、反対に心の中が満ち溢れ、幸福と平和とに浮き立つ時も、やはりその喜悦を人に語り共感されたい慾望を覚えるであらう。そしてその喜悦を語り得る相手を自己の周囲に有たぬ場合、それは往々かへつて悲しみと変じ、孤独の意識となつて自らを虐げさへもするのではあるまいか。多分あなたにもその経験はおありのことであらう、もしあなたが真実の苦しみに出合つた方であるならば……。そして私がこのやうなものを書かねばゐられぬ気持を解いて下さるであらう。
 とは言ひながら、私は自分の私生活を語るに際して、多くの努力と勇気とを必要とする。先づ第一にかやうな手紙を書くことの嫌悪、それから自己侮蔑の感情、即ちこのやうなつまらぬ私生活を社会に投げ出してそれが何になる、お前個人のくだらぬ苦悩や喜悦が社会にとつて問題たり得るのか、お前は単に一匹の二十日鼠、或は毛の生えた虱にすぎないではないか、社会が個人にとつて問題であるならば個人は社会にとつて問題だと信じるのか? しかしさやうな信念は十八世紀の夢に過ぎないのだ――等々と戦はねばならないのである。この場合私の武器とする唯一つのものは愛情、もし愛情といふ言葉がてれ臭いならば共感でもよい、私は私の中にある、誰かに共感されたい、といふ慾求を信じる。
 一例をあげれば、われわれはフロオベルがジョルジュ・サンドに与へた書簡を持つてゐる。われわれにとつて重要なことは、自己の生活を亡ぼし、人間とは何ものでもない、作品が凡てなのだと信じたフロオベルが、かかる書簡を書かねばゐられなかつたといふその点にある。
(未完?)

柊の垣にかこまれて

 駅を出ると、私は荷物が二つばかりあつたので、どうしても車に乗らねばならなかつた。父と二人で、一つづつ持てば持てないこともなかつたけれども、小一里も歩かねばならないと言はれると、私はもうそれを聴くだけでもひどい疲れを覚えた。
 駅前に三十四年型のシボレーが二三台並んでゐるので、
「お前ここにゐなさい。」
 と父は私に言つて、交渉に行つた。私は立つたまま、遠くの雑木林や、近くの家並や、その家の裏にくつついてゐる鶏舎などを眺めてゐた。淋しいやうな悲しいやうな、それかと思ふと案外平然としてゐるやうな、自分でもよく判らぬ気…

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