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ちじょうそしき
作品ID50248
著者中原 中也
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者なか
公開 / 更新2010-11-25 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 私は全ての有機体の上に、無数に溢れる無機的現象を見る。それは私に、如何しても神を信ぜしめなくては置かない所以のものである。
 人間にとつての偶然も神にとつては必然。運命は即ち、その必然の中に握られてあり、吾等の意志の能力は即ちその必然より人間にとつての偶然を取除いた余の、所謂必然、その範囲に於て可能である。

 私が今仮りに神の全てを見知したとする。然し私はそれを表現することは出来ないのだ。何故と云つて神は絶対であり、私の表現は相対的に行はれるのみだからである。茲に於て、人は神の全てを知るとも宿命の軌道を壊つことは不可能である。天才者常に空威張りし、予言者嘆息するはまことに許容すべきのみ。然るに彼も亦神の手になれるもの、常に理想の方向へとのみ盲目なれど強き力もつ衝動と共に生く。
 併し、辛じて詩人は神を感覚の範囲に於て歌ふ術を得るのだ。

 最初に、神に脳裡に構へられしものは静止せる理想郷のサイ象。それに制約の点ぜられたるより流転現象開始さる。然れば、神の御旨よりは罪悪もなし。されど、人の子の側より考へて罪悪は犯すべからざるものなり。仮りに神の御旨を人の子の側にも当篏めんか、最初に神の脳裡に構へられし静止せる理想郷に逆源するのみ。そは神の御意に非ず。そこに於ては神も亦好奇心のみ。
 然るに神人の子に未来を知るの力を与へ給はず。又、人の子の謂ふ奇蹟も容易きことなれど、人の子を遣りたる相対の世界には神自らも相対性以外を行ふとも見せられず。詩人は云ふ。神は絶対の沈黙者なり、情なくまた非情なしと。然り然り。諺にあり「自然は既定の法則を踏まずして一の塵、一の芥をも齎さず」と。

 吾定義す。俗人とは、物象の有機的要素のみを見るものと。然るに俗人と雖も無機的要求をも真に僅を見るなり。証拠としては迷信の介在、恐怖あること等。而して無機的要求を見る心こそは魂を促し目覚ますものぞ。然り俗人もまた欲望あり、希望あり。
 厳密に云へば天才者とは、無機的要素を人間能力なるものゝあらん限りに於て見る者のことぞ。
 無機的要求を見る程々に少き者は哲学者たり、それよりも尚程少き者は科学学者に適し、無機的要求最も多く見るものは詩人となるのみ。此の場合歴史詩人等の如きはやゝ例外とす。  あゝ吾は歌はん。



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