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わが幼時の美感
わがようじのびかん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「飯待つ間」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日
初出「ホトトギス 第二巻第三号」1898(明治31)年12月10日
入力者ゆうき
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-06-05 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 極めて幼き時の美はただ色にありて形にあらず、まして位置、配合、技術などそのほかの高尚なる複雑なる美は固より解すべくもあらず。その色すらなべての者は感ぜず、アツプ(美麗)と嬉しがらるるは必ず赤き花やかなる色に限りたるが如し。乳呑子のともし火を見て無邪気なる笑顔をつくりたる、四つ五つの子が隣の伯母さんに見せんとていと嬉しがる木履の鼻緒、唐縮緬の帯、いづれ赤ならざるはあらず。こころみにおもちや屋の前に立ちて赤のまじらぬ者は何ぞと見よ。白毛黒髪の馬のおもちやにさへ赤き台の車はつけてあるべし。
 わが幼き時の美の感じは如何にやと思ひめぐらすに五、六歳以下の事は記憶に残るべき道理なし。われが三つの時、母はわれをつれて十町ばかり隔りたる実家に行きしが、一夜はそこに宿らんとてやや寐入りし頃、ほうほうと呼びて外を通る声身に入みて夢覚めたり。(ほうほうとは火事の時に呼ぶ声なり)すは火事よとて起き出でて見るに火の手は未申に当りて盛んに燃えのぼれり。我家の方角なれば、気遣しとてわれを負ひながら急ぎ帰りしが、我が住む横町へ曲らんとする瞬間、思ひがけなくも猛烈なる火は我家を焼きつつありと見るや母は足すくみて一歩も動かず。その時背に負はれたるわれは、風に吹き捲く[#挿絵]の偉大なる美に浮かれて、バイバイ(提灯のこと)バイバイと躍り上りて喜びたり、と母は語りたまひき。あくまで惨酷なる猛火に対する美感は如何にありけんこの時以後再び感ずる能はず。年長じて後、イギリスの小説(リツトンのゴドルフインにやありけん)を読む。読みてまさに終らんとす、主人公志を世に得ず失望して故郷に帰る、故郷漸く近くして時、夜に入るふと彼方を望みて、丘の上に聳えし宏壮なる我家の今や猛火に包まれんとするを見る、の一段に到りて、心臓は忽ち鼓動を高め、悲哀は胸に満ち、主人公の末路を憐むと共に、母の昔話を思ひ出ださざるを得ざりき。しかれどもなほ細かに考ふれば、荒村の丘の上に、高き大きなる建物が火を吐きつつある光景は、いくばくかバイバイ的美を想ひ起さしむる者なきに非ず。
 我家は全焼して僅に門を残したるほどなりければ、さなくとも貧しき小侍の内には我をして美を感ぜしむる者何一つあらざりき。七、八つの頃には人の詩稿に朱もて直しあるを見て朱の色のうつくしさに堪へず、われも早く年とりてああいふ事をしたしと思ひし事もあり、ある友が水盤といふものの桃色なるを持ちしを見てはそのうつくしさにめでて、彼は善き家に生れたるよと幼心に羨みし事もありき。こればかり焼け残りたりといふ内裏雛一対、紙雛一対、見にくく大きなる婢子様一つを赤き毛氈の上に飾りて三日を祝ふ時、五色の色紙を短冊に切り、芋の露を硯に磨りて庭先に七夕を祭る時、これらは一年の内にてもつとも楽しく嬉しき遊びなりき。いもうとのすなる餅花とて正月には柳の枝に手毬つけて飾るなり、それさへもいと嬉し…

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