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「にんじん」とルナアルについて
「にんじん」とルナアルについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「にんじん」 岩波文庫、岩波書店
1950(昭和25)年4月1日
入力者門田裕志
校正者砂場清隆
公開 / 更新2013-08-22 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ジュウル・ルナアル(Jules Renard 1864―1910)の作品のうちで最もひろく読まれ、世人に親しまれているのは、この「にんじん」である。原名は Poil de Carotte 直訳すると「にんじん毛」、すなわち、にんじんのように赤ちゃけた髪の毛という意味になる。この種の髪の色は、ブロンドや栗色などとちがい、生々しくどぎつい感じのために、あまり見ばえがしないばかりでなく、一般にこの髪の色をした人間は、皮膚の艶もわるく、ソバカスが多くて、その上、性質まで人好きのしないところがあるように思われているのである。
 自分の子供にこんな渾名をつける母親、そして、その渾名が平気で通用している家族というものを想像すると、それだけでもう暗憺たる気持に誘われるが、いったい、ルナアルは、どういうつもりでこの作品を書いたのだろう?
 言うまでもなく、彼は、自分の少年時代の苦い追憶を、ことに、異常な性格をもつ母親と、その母親をどうしても愛することのできなかった、そして、その原因は母親のほうにばかりあるのではないことを知らなかった自分との、宿命的な対立を、いくぶん皮肉をまじえて、淡々と、ユウモラスに書いてみたかったのである。
 彼の日記によると、この「にんじん」の内容がだいたい事実に基づいたものであることはわかるが、この作品を必ずしも彼の自伝の一部として見るのはあたらないと思う。
 これは、あくまで小説として読むべきもの、「にんじん」なる少年も、その両親ルピック夫妻も、「にんじん」の姉も兄も、いずれも、それは、単なるモデルのある人物にすぎないのである。
 ただ、少年「にんじん」だけは、作者の自画像としてみるのでなければ、この作品に登場する人物のうち、特にルピック夫人の戯画がなんとなく「つくりもの」のような気もするのであるが、この作品に問題があるとすればそこなのである。
 ルナアルは、たしかに、この物語において自己告白もしていなければ、自己弁護もしていない。事件の軽妙な配列と、描写の客観性とによって、あくまでも感傷の跡を消し去っている。
 母と子とがほとんど本能的に憎み合うという世にも不幸な運命、聞くだに慄然としないわけにいかぬ悲劇的境遇が、この作品において、一種素朴な家族風景となり、時には清澄な牧歌の趣を呈するわけは、作者ルナアルの感傷がまったく影をとどめず、むしろその高度なヒュマニズムが、愛憎の心理の機微を公平に捉え、人生の風波に雄々しく耐えて、いっさいをほろ苦い微笑でつつもうとしているからだと思う。
「にんじん」の物語は、また異常のようにみえて、実はむしろ当り前の少年の心理を、極めて日常的な生活のなかで、微細に、そして、鋭くとらえた一種の実験メモである。少年「にんじん」の性情は、特殊な環境のためにいくぶんはゆがめられ、素朴さを失ってはいるが、また、それにもかかわらず、…

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