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デボルド―ヷルモオル
デボルド―ヷルモオル
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
初出「四季」1937(昭和12)年8月号
入力者村松洋一
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-04-10 / 2015-03-08
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今月から、何回かにわたつて、マルスリーヌ・デボルド―[#挿絵]ルモオルの詩を、飜訳してゆかうと思ふ。
 [#挿絵]ルモオルは、我国に於ては、殆んどまだ知られてゐないが、当のフランスに於ては、ボードレエルによつて既に賞讃せられ、[#挿絵]ルレーヌの有名な詩人論“Po[#挿絵]tes Maudits.”の中に、[#挿絵]ルレーヌの認めて最も真物の詩人となした五人の詩人中に加へられてゐるのである。
 マルスリーヌ・デボルド―[#挿絵]ルモオルは千七百八十六年七月の二十日にドゥエ(Douai)に生れ、千八百五十九年七月二十三日巴里で死んだ。彼女の一生は実に平々凡々なものであつた。少数のエリット達からは認められてもゐたが、世間からは一向知られなかつた。彼女の名声は今では日に月に高まりつつあるのだが、つまり『死後の名声』といふやつなのである。
 彼女の家は貧しかつた。空想的な人物であつた彼女のお母さんは、アメリカで金持になつてゐる親戚に会ひに行つて、家を建てて貰はうなぞと考へた。未だ幼いマルスリーヌを伴つて、彼女は実際アメリカに行つたのだつた。ところが著いてみると、恐ろしい当て外れだつた。親戚はネグロ達から家を逐ひ立てられてゐるといふ始末であつた。植民地一揆が起つてゐたのだ。加ふるに黄熱病が猖獗を極めてゐて、[#挿絵]ルモオルのお母さんは遂にそれに罹つて死んだのだつた。一人になつた[#挿絵]ルモオルは船から船に移されて漸くのことで例の親戚の手に渡されたのだが、その親戚は貧乏になりはてちまつてゐたといふわけだ。恰度まあいい具合にその時劇場から話があつて、[#挿絵]ルモオルは早速歌ふことを学んだ。『快活にならうとつとめたが、どうも私に合ふのはメランコリックな情熱的な役だつた』と後年彼女は追想してゐる。間もなく月収僅か八十法で以てフェイドオ劇場といふのに招かれ、赤貧洗ふが如き生活をした。然しまあ未来があつたのだが、それも諦めて、父親のためには田舎へ引籠らなければならなかつた。
『二十才にして既にひどい心痛は歌ふことを断念せざるを得ざらしめた。何故といつて私の声は泣くやうだつた。然し音楽は片時も念頭を離れなかつた。そして何時もかはらぬ韻律が、私の色んな物思ひをいつしらず整頓してくれるのであつた。やがて私はそれを書きとめた。人々はそれを見て、悲歌だと云つた。』
 茲に彼女自身『ひどい心痛』と云つてゐるのは、冷たい男に恋したことなのだ。その男といふのは文士のアンリ・ド・ラトゥシュ。然し[#挿絵]ルモオルの天才は彼に負ふところ尠くなかつた。彼女はその恋には随分長年苦労した。やがて遂々諦めて、間もなく劇場仲間の[#挿絵]ルモオルと結婚した。[#挿絵]ルモオルは却々しつかりした男で、彼女はその妻として実に申し分のない妻だつた。彼女は彼の許に、あまり栄えもしない詩人生活をした。彼が巡業を…

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