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![]() へびくい |
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作品ID | 1182 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ / 泉 鏡太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 巻四」 岩波書店 1941(昭和16)年3月15日 |
入力者 | 馬野哲一 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2000-11-09 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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西は神通川の堤防を以て劃とし、東は町盡の樹林境を爲し、南は海に到りて盡き、北は立山の麓に終る。此間十里見通しの原野にして、山水の佳景いふべからず。其川幅最も廣く、町に最も近く、野の稍狹き處を郷屋敷田畝と稱へて、雲雀の巣獵、野草摘に妙なり。
此處往時北越名代の健兒、佐々成政の別業の舊跡にして、今も殘れる築山は小富士と呼びぬ。
傍に一本、榎を植ゆ、年經る大樹鬱蒼と繁茂りて、晝も梟の威を扶けて鴉に塒を貸さず、夜陰人靜まりて一陣の風枝を拂へば、愁然たる聲ありておうおうと唸くが如し。
されば爰に忌むべく恐るべきを(おう)に譬へて、假に(應)といへる一種異樣の乞食ありて、郷屋敷田畝を徘徊す。驚破「應」來れりと叫ぶ時は、幼童婦女子は遁隱れ、孩兒も怖れて夜泣を止む。
「應」は普通の乞食と齊しく、見る影もなき貧民なり。頭髮は婦人のごとく長く伸びたるを結ばず、肩より垂れて踵に到る。跣足にて行歩甚だ健なり。容顏隱險の氣を帶び、耳敏く、氣鋭し。各自一條の杖を携へ、續々市街に入込みて、軒毎に食を求め、與へざれば敢て去らず。
初めは人皆懊惱に堪へずして、渠等を罵り懲らせしに、爭はずして一旦は去れども、翌日驚く可き報怨を蒙りてより後は、見す/\米錢を奪はれけり。
渠等は己を拒みたる者の店前に集り、或は戸口に立並び、御繁昌の旦那吝にして食を與へず、餓ゑて食ふものの何なるかを見よ、と叫びて、袂を深ぐれば畝々と這出づる蛇を掴みて、引斷りては舌鼓して咀嚼し、疊とも言はず、敷居ともいはず、吐出しては舐る態は、ちらと見るだに嘔吐を催し、心弱き婦女子は後三日の食を廢して、病を得ざるは寡なし。
凡そ幾百戸の富家、豪商、一度づゝ、此復讐に遭はざるはなかりし。渠等の無頼なる幾度も此擧動を繰返すに憚る者ならねど、衆は其乞ふが隨意に若干の物品を投じて、其惡戲を演ぜざらむことを謝するを以て、蛇食の藝は暫時休憩を呟きぬ。
渠等米錢を惠まるゝ時は、「お月樣幾つ」と一齊に叫び連れ、後をも見ずして走り去るなり。ただ貧家を訪ふことなし。去りながら外面に窮乏を粧ひ、嚢中却て温なる連中には、頭から此一藝を演じて、其家の女房娘等が色を變ずるにあらざれば、決して止むることなし。法はいまだ一個人の食物に干渉せざる以上は、警吏も施すべき手段なきを如何せむ。
蝗、蛭、蛙、蜥蜴の如きは、最も喜びて食する物とす。語を寄す(應)よ、願はくはせめて糞汁を啜ることを休めよ。もし之を味噌汁と洒落て用ゐらるゝに至らば、十萬石の稻は恐らく立處に枯れむ。
最も饗膳なりとて珍重するは、長蟲の茹初なり。蛇[#ルビの「くちなは」は底本では「くちはな」]の料理鹽梅を潛かに見たる人の語りけるは、(應)が常住の居所なる、屋根なき褥なき郷屋敷田畝の眞中に、銅にて鑄たる鼎(に類す)を裾ゑ、先づ河水を汲み入るゝこと八分目餘、用意了れば直ちに走りて、一本…