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人魚の祠
にんぎょのほこら
作品ID1183
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻十六」 岩波書店
1942(昭和17)年4月20日
入力者馬野哲一
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2000-12-13 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

「いまの、あの婦人が抱いて居た嬰兒ですが、鯉か、鼈ででも有りさうでならないんですがね。」
「…………」
 私は、默つて工學士の其の顏を視た。
「まさかとは思ひますが。」
 赤坂の見附に近い、唯ある珈琲店の端近な卓子で、工學士は麥酒の硝子杯を控へて云つた。
 私は卷莨を點けながら、
「あゝ、結構。私は、それが石地藏で、今のが姑護鳥でも構ひません。けれども、それぢや、貴方が世間へ濟まないでせう。」
 六月の末であつた。府下澁谷邊に或茶話會があつて、斯の工學士が其の席に臨むのに、私は誘はれて一日出向いた。
 談話の聽人は皆婦人で、綺麗な人が大分見えた、と云ふ質のであるから、羊羹、苺、念入に紫袱紗で薄茶の饗應まであつたが――辛抱をなさい――酒と云ふものは全然ない。が、豫ての覺悟である。それがために意地汚く、歸途に恁うした場所へ立寄つた次第ではない。
 本來なら其の席で、工學士が話した或種の講述を、こゝに筆記でもした方が、讀まるゝ方々の利益なのであらうけれども、それは殊更に御海容を願ふとして置く。
 實は往路にも同伴立つた。
 指す方へ、煉瓦塀板塀續きの細い路を通る、とやがて其の會場に當る家の生垣で、其處で三つの外圍が三方へ岐れて三辻に成る……曲角の窪地で、日蔭の泥濘の處が――空は曇つて居た――殘ンの雪かと思ふ、散敷いた花で眞白であつた。
 下へ行くと學士の背廣が明いくらゐ、今を盛と空に咲く。枝も梢も撓に滿ちて、仰向いて見上げると屋根よりは丈伸びた樹が、對に並んで二株あつた。李の時節でなし、卯木に非ず。そして、木犀のやうな甘い匂が、燻したやうに薫る。楕圓形の葉は、羽状複葉と云ふのが眞蒼に上から可愛い花をはら/\と包んで、鷺が緑なす蓑を被いで、彳みつゝ、颯と開いて、雙方から翼を交した、比翼連理の風情がある。
 私は固よりである。……學士にも、此の香木の名が分らなかつた。
 當日、席でも聞合せたが、居合はせた婦人連が亦誰も知らぬ。其の癖、佳薫のする花だと云つて、小さな枝ながら硝子杯に插して居たのがあつた。九州の猿が狙ふやうな褄の媚かしい姿をしても、下枝までも屆くまい。小鳥の啄んで落したのを通りがかりに拾つて來たものであらう。
「お乳のやうですわ。」
 一人の處女が然う云つた。
 成程、近々と見ると、白い小さな花の、薄りと色着いたのが一ツ一ツ、美い乳首のやうな形に見えた。
 却説、日が暮れて、其の歸途である。
 私たちは七丁目の終點から乘つて赤坂の方へ歸つて來た……あの間の電車は然して込合ふ程では無いのに、空怪しく雲脚が低く下つて、今にも一降來さうだつたので、人通りが慌しく、一町場二町場、近處へ用たしの分も便つたらしい、停留場毎に乘人の數が多かつた。
 で、何時何處から乘組んだか、つい、それは知らなかつたが、丁ど私たちの並んで掛けた向う側――墓地とは反…

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