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![]() せつれいきじ |
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作品ID | 1184 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 卷二十一」 岩波書店 1941(昭和16)年9月30日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-11-23 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「此のくらゐな事が……何の……小兒のうち歌留多を取りに行つたと思へば――」
越前の府、武生の、侘しい旅宿の、雪に埋れた軒を離れて、二町ばかりも進んだ時、吹雪に行惱みながら、私は――然う思ひました。
思ひつゝ推切つて行くのであります。
私は此處から四十里餘り隔たつた、おなじ雪深い國に生れたので、恁うした夜道を、十町や十五町歩行くのは何でもないと思つたのであります。
が、其の凄じさと言つたら、まるで眞白な、冷い、粉の大波を泳ぐやうで、風は荒海に齊しく、ぐわう/\と呻つて、地――と云つても五六尺積つた雪を、押搖つて狂ふのです。
「あの時分は、脇の下に羽でも生えて居たんだらう。屹と然うに違ひない。身輕に雪の上へ乘つて飛べるやうに。」
……でなくつては、と呼吸も吐けない中で思ひました。
九歳十歳ばかりの其の小兒は、雪下駄、竹草履、それは雪の凍てた時、こんな晩には、柄にもない高足駄さへ穿いて居たのに、轉びもしないで、然も遊びに更けた正月の夜の十二時過ぎなど、近所の友だちにも別れると、唯一人で、白い社の廣い境内も拔ければ、邸町の白い長い土塀も通る。………ザヾツ、ぐわうと鳴つて、川波、山颪とともに吹いて來ると、ぐる/\と[#挿絵]る車輪の如き濃く黒ずんだ雪の渦に、くる/\と舞ひながら、ふは/\と濟まアして内へ歸つた――夢ではない。が、あれは雪に靈があつて、小兒を可愛がつて、連れて歸つたのであらうも知れない。
「あゝ、酷いぞ。」
ハツと呼吸を引く。目口に吹込む粉雪に、ばツと背を向けて、そのたびに、風と反對の方へ眞俯向けに成つて防ぐのであります。恁う言ふ時は、其の粉雪を、地ぐるみ煽立てますので、下からも吹上げ、左右からも吹捲くつて、よく言ふことですけれども、面の向けやうがないのです。
小兒の足駄を思ひ出した頃は、實は最う穿ものなんぞ、疾の以前になかつたのです。
しかし、御安心下さい。――雪の中を跣足で歩行く事は、都會の坊ちやんや孃さんが吃驚なさるやうな、冷いものでないだけは取柄です。ズボリと踏込んだ一息の間は、冷さ骨髓に徹するのですが、勢よく歩行いて居るうちには温く成ります、ほか/\するくらゐです。
やがて、六七町潛つて出ました。
まだ此の間は氣丈夫でありました。町の中ですから兩側に家が續いて居ります。此の邊は水の綺麗な處で、軒下の兩側を、清い波を打つた小川が流れて居ます。尤も其れなんぞ見えるやうな容易い積り方ぢやありません。
御存じの方は、武生と言へば、あゝ、水のきれいな處かと言はれます――此の水が鐘を鍛へるのに適するさうで、釜、鍋、庖丁、一切の名産――其の昔は、聞えた刀鍛冶も住みました。今も鍛冶屋が軒を並べて、其の中に、柳とともに目立つのは旅館であります。
が、最う目貫の町は過ぎた、次第に場末、町端れの――と言ふとすぐに大な…