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文学を愛づる心
ぶんがくをめづるこころ
作品ID12614
著者折口 信夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折口信夫全集 第廿七巻」 中央公論社
1968(昭和43)年1月25日
初出「生活文化 第七巻第十號」1946(昭和21年)11月
入力者高柳典子
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-17 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

文學を愛でゝめで痴れて、やがて一生を終へようとして居る一人の、追憶談に過ぎぬかも知れない。
        *
文學をめでゝ愛で痴れて、而も其愛好者の一生が、何の變化も受けなかつたものとすれば、その文學がよほど、質の違つたものだつたと考へてよい。さうでなければ、その人が變質的に隨分強靱な心を持つてゐたと言ふことになる。所謂文學の惡影響と言ふこともあるにはある。此は考へて見ねばならぬことだ。文學を愛して居ながら、ちつともわるい感化を蒙らなかつたと言ふ人は相當あつて、紳士として申し分のない生活をして居る。かう言ふ人の行き方は、堅實な態度と言はれて來て居る。
        *
だが、よく考へて見ると、古くから讀まれて來た書物で、ちつとも不健康な分子、有害な部分のないと言ふやうな文學は、まあ、ないやうである。經典を見たつて、欲望を唆る樣な箇處はあつて、それ/″\昔から知られてゐる。倫理書をのぞいても、其當時々々の社會の秩序を破る思惟を誘ふ部分と謂つた處は、皆それ/″\あるのである。其が文學としての傾向の著しいものになると、文學としての性質上、更に激しくなつて來るまでゞある。
        *
我々は祖先の世から、美しい次代を創りあげようとして、苦しんで來た。其爲に、幾人とも知れぬ犧牲者を出して來てゐる。さう言ふ苛烈な經驗をした人々よりも、も一つ先にのり出して、自分の書き列ねてゐる語をつきつめて行つて、どうしても逢著しなければならぬ新しい境地を、ちらつと見ると言ふ處まで達したのが文學者のある者である。
言語文章を似て、彼等は、人生の論理を追求して行つた。さうして、美しい次代の俤を、自分の文學の上に、おのづから捉へて來た訣である。
        *
かう言ふ新しい生活に對する豫言が、正しい文學、優れた文學の持つ、文學としての第一の資格であつた。だから謂はゞ、文學の持つ美は腕の脱落した、過去のみゆうず神の擔任する美とは、聊か樣子の違つたものである。つまり此から先の人間の生活を、思ひのまゝのいさぎよいものにする――その手はじめに、自分の生活を感情の趣くまゝにふるまうて行く。さうしてその整頓せられて出た結果が、次代の人生の規範として備る。
かう言ふ生活の、實際に現れて來るより前に、言語を以て表現する藝術に、さう言ふ未來の心ゆく姿をば、望み見ることの出來る境までは、行くことが出來るのである。
        *
たとへば、とるすといの樣な人――。現れたところでは、一生を氣隨にふるまつた人のやうにも見える。併し、彼自身が、人間全體の代表であつた形は、はつきりと見られてる。相應に當時の人々からも認め難く思はれて居た氣まゝな欲望を持つた彼である。だが皆次代の人生をそこまでおし擴げようとして居たものだと言ふことに、やつと人々は、後で氣がついた。
たゞ、れふ・とるすといは篤信者であ…

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