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水中の友
すいちゅうのとも |
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作品ID | 12620 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 第廿七巻」 中央公論社 1968(昭和43)年1月25日 |
初出 | 「『人間失格・櫻桃』解説」角川文庫、角川書店、1950(昭和25)年11月。「文藝 第十卷第十二號」1953(昭和28)年12月 |
入力者 | 高柳典子 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2004-06-19 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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いつまでも ものを言はなくなつた友人――。
もつとも 若かつたひとり――。
たゞの一度も 話をしたことのない
二三行の手紙も 彼に書いたことのない私――
併し 私の友情を しづかに 享けとつてゐてくれた彼を 感じる。
――友人の死んだ時
私は、嵐の聲を聞いた。
若い世間は、手をあげて迎へるやうに
はなやかに その死を讚へた――。
老成した世間は、もみくしやになつた語で、
澁面を表情した――。
一等高さの教養を持つた人だけが――、
何げない貌で
たゞ その姿を 消ゆるにまかせるだらう――。
さう言ふ この國の爲來りを
彼は信じて 安らかになつたに違ひない。
若い友人は 若いがゆゑの
夢のやうな業蹟を 殘して死んだ。
こればかりは、
若くて過ぎた人なるが故の美しさだ と言ふ思ひが――、
年のいつた私どもの胸に 沁む――。
何げない貌で 死んで行つたが――
ほんたうに 遠く靜かになつた人
もういつまでも ものなんか言はうとしないでもよい。
私の[#挿絵]を温める ほのかな光りを よこしてくれ
* * *
私などが、太宰君の本の解説を書いて見たところで何の意味もないことである。故人作物の批評や、案内の類の書き物は、手近いところに幾らもあるのだから、そんな點では、私如きは、手を空しくして眺めてゐる外はない。其でも生前、口約束のやうなことを、人をとほしてあり、その作物をこんな風に見てゐる者もあると言ふことだけは、故人に知つて置いて貰はうと思うたこともあるのだから、謂はゞ書くべき義理がない訣でもない。其で、世の人のすなる評判記の類に繋りなく、勝手な感想の二三枚も書いて、故人をくやむ心だけを、その後、知りあひになつた遺族の方々の前に表したい――さう思うて書かうとする訣、全く唯何となく、書いて見るだけのことである。
故人についての知識は、一から十まで、故人の友だち伊馬春部から得たもので、その書き物も大方、あれを讀め、之を讀めと言つては、春部の持つて來てあてがつた物から得たのである。だから相當に讀んでゐても、かう言ふ事をするのに、ひけ目を感じる訣である。今度出るのは、「櫻桃」・「人間失格」、それに「ヴィヨンの妻」――皆故人の名を、その時々に、一段づゝせりあげた作物である。
だが私は、あゝ言ふ變質風な性格や、慾望ばかりを描寫したものが、太宰作風の全體ではないと始終考へてゐるものだから、かう言ふとりあげ方は、外の本屋の傑作選といふ風なものについても、よい氣がしなかつた。これでは、太宰君が可愛相だ――、そんな風に思うて來たものである。だから、角川の文庫の竝べ方についても、あまりぞつとしない氣がしてゐる。そんな訣で、せめて「竹青」を入れてくれ、と希望を述べた位である。
津輕を知らない人は、始終曇つてばかりゐて、人々も重くるしい口ばかりきいて…