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村々の祭り
むらむらのまつり
作品ID13205
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆44 祭」 作品社
1986(昭和61)年6月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-02-03 / 2014-09-18
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 今宮の自慢話
ことしの夏は、そんな間がなくて、とう/\見はづして了うたので、残念に思うてゐる。毎年、どつかで見ない事のない「夏祭浪花鑑」の芝居である。音羽屋と言ふ人の、今度久しぶりで、院本に拠つた団七九郎兵衛は、見たかつたけれども、今更どうにもならない。でも、其演出は原作に忠実であつたと言ふだけに、一个処見て置きたい場面があつた。「祇園囃しの祭りの太鼓。ちようや、ようさ。ようさや、ちようさ。……」かう言ふ調子づいた原文の、祭りの日の気分の写生が、十分に出たかどうかゞ触れて見たかつたのである。どうも、あれを思ひ出させられると、たまらない。大阪で少年期を過して、今、四五十になつて居る人たちの胸は、底からゆすり揚げられる気がする。義平次殺しの日は難波祭りらしく書いてあるが、私の育つたのは、おなじ「八阪さま」を祀つても、社は別々の隣村であつた。でも、日もおなじければ、曳く飾り山もおなじだいがくと言ふ大きな鉾であつた。此だいがくは、大阪南方の近在では皆舁いたものらしいが、最後まで執著を残してゐたのは、私の生れ里であつた。何でも五六年息まつて居て、最後に舁いたのが、日露戦争の済んだ年であつたと思ふ。
天王寺も今宮も、早く止めたが、やはりだいがくを舁いた村である。産土神から言へば、難波・木津の祇園なのに適当だが、村の歴史から言へば、今宮が一等此に縁深さうに見えるのである。今宮は小西来山の十万堂の残つてゐる処で、果して真作かどうか疑はしいけれど、「今宮は、虫どころなり。つんぼなり。」と言ふ句が、諺の様に、いまだに旧住民の子孫には伝はつて居る。その没風流に比興した聾の夷神で名高くもなつた。村の氏神と祀られて居るのは、夷の社ではなく、おさき次郎兵衛の心中のあつた杜にあつた広田の社である。それで居て、土地の旧家の書き物にも、村人の自慢話にも京の八阪社との深い関係を説いてゐる。「祇園のお御輿も、今宮が出んなら、びり/″\動きもせん。」かう信じもし、言ひふらしもした。隣村の我々などは、さうした由緒のないことを肩身狭く感じた事さへある。これは嘘でも、ま違ひでもなかつた。大阪の旧地誌は固より、京都側の書き物にも、其通りに伝へて居るのが段々ある。八阪の駕輿丁の出る村だから、京の山鉾を似せて、舁き出したと言ふ事もなり立つかも知れぬ。だが、此小話では、そんな点迄かたづけて居る事は出来ぬ。
二 夏祓へから生れた祭り
広田の氏子が、祇園の神人であるといふ事は、一体、どうした事であらう。だが、此は不思議でも何でもない。かうした例なら、幾らでも挙つて来る。
日吉の神輿は、京方へおりると、きまつて加茂河原の細工(皮)の家群に立ちよられた。さうして権現が人間の世に、世話を申した「小次郎」の子孫のもてなしを受けられるのだと説明してゐる。此は、固より仮りの説明であつた。山王の神人として、遠く離れ住んだ奴隷…

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