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雛祭りの話
ひなまつりのはなし
作品ID13215
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 3」 中央公論社
1995(平成7)年4月10日
初出「愛国婦人 第四七九号」1922(大正11)年3月
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-03-03 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 淡島様

黙阿弥の脚本の「松竹梅湯島掛額」は八百屋お七をしくんだものであるが、其お七の言葉に、内裏びなを羨んで、男を住吉様女を淡島様といふ条りが出てくる。お雛様を祭る婦人方にも、存外、淡島様とお雛様との関係を、知らぬ人が多いことゝ思ふ。
古くは願人といふ乞食房主があつて、諸国を廻りめぐつて、婦人たちに淡島様の信仰を授けまはつたのである。そして、婦人たちからは、衣類を淡島様に奉納させたのであつた。
其由緒はかうである。昔住吉明神の后にあはしまといふお方があつて、其が白血・長血の病気におなりになつた。それで住吉明神が其をお嫌ひになり、住吉の社の門扉にのせて、海に流したのである。かうして、其板船は紀州の加太の淡島に漂ひついた。其を里人が祀つたのが、加太の淡島明神だといふのである。此方は、自分が婦人病から不為合せな目を見られたので、不運な人々の為に悲願を立てられ、婦人の病気は此神に願をかければよい、といふ事になつてゐるのである。処々に、淡島の本山らしいものが残つてゐるが、加太の方がもとであらうと思ふ。
東京の近くで物色すると、三浦半島の淡島があり、中国では出雲の粟島、九州に入ると平戸の粟島などが有名である。凡そ、祭神は、すくなひこなの命といふ事になつてゐる。特に、出雲のは、此すくなひこなが粟幹に弾かれて渡られたのだ、といふのである。すくなひこなは其程小さい神様なのである。国学者の中でも、粟島即、すくなひこな説を離さぬ人がある。
処が古事記・日本紀などを覗いた方には、直ぐ判ることだが、すくなひこなの命以外にちやんと淡島神があつて、あの住吉明神の后同様に、海に流されてゐるのである。即、天照大神などを始め、とてつもない程沢山の神々の親神であるいざなぎのみこと・いざなみのみことの最初にお生みになつたのが、此淡島神で、次が有名な蛭子神であつた。
遠い/\記・紀の昔から、既に、近世の粟島伝説の芽が育まれてゐたことが訣る。一体、此すくなひこなは、常世の国から、おほくにぬしの命の処へ渡つて来た神であり、而も、おほくにぬしと共に、医薬の神になつてゐるし、粟に引かれて来た粟といふ聯関もあり、かた/″\淡島神とごつちやにされる原因に乏しくないのである。でも、其は後世の合理的な見解に過ぎないので、もつと色々な方面から、お雛様の信仰と結び附いたのであつた。
此淡島様の祭日は三月三日であつて、淡島を祈れば、婦人病にかゝらず、丈夫な子を持つ、と信ぜられてゐたのである。此は、三日には女が海辺へ出かけて、病気払ひの祓除をした遺風が底に流れてゐるらしい。一方、三月三日を祓除の日とする事は、日本ばかりではなく、支那にもあつた事で、寧、大部分支那から移された風と見ることが出来る。
唯、単に春やよひの季節のかはる頃、海に出て、穢れを洗ふといふのは、古くからあつたと見られる。支那では、古く三月の…

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