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たなばたと盆祭りと
たなばたとぼんまつりと |
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作品ID | 13216 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 3」 中央公論社 1995(平成7)年4月10日 |
初出 | 「民俗学 第一巻第一号」1929(昭和4年)年7月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2004-07-07 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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一
この二つの接近した年中行事については、書かねばならぬ事の多すぎる感がある。又既に、先年柳田先生が「民族」の上で述べてゐられるから、私しきが今更此に対して、事新しく、附け加へるほどのことはあるまいと思ふが、顔が違へば、心も此に応じる。又変つた思案も出ようと言ふものである。
たなばたは、七月七日の夜と、一般に考へられてゐる様であるが、此は、七月六日の夜から、翌朝へかけての行事であるのが、本式であつた。此点、今井武志さんの報告にある、信州上水内の八月六日の夜を以てするのが、古形を存するものゝ様である。沖縄に保存してゐるたなばた祭りも、やはり七月六日の夜からで、翌朝になるとすんでゐた。
「水の女」の続稿には、既に計画も出来てゐるのであるが、たなばたといふ言葉は、宛て字どほり棚機であつた。棚は、天ノ湯河板挙・棚橋・閼伽棚(簀子から、かけ出したもの)の棚で、物からかけ出した作りである。その一種なる地上・床上にかけ出した一種のたなばかりが栄えたので、此原義は、訣りにくゝなつて了うた。たなと言へば、上から吊りさげる所謂「間木」と称するもの、とばかり考へられるやうになつた。同行の学者の中にも、或はこの点、やはり隈ない理会のとゞかぬらしく、たなを吊り棚とばかり考へてほかくれぬ人もある。
壁に片方づけになつてゐない吊り棚に、年神棚がある。此は、天井から吊りさげるのが、本式であつた。神又は神に近い生活をする者を、直人から隔離するのがたなの原義で、天井からなりと、床上になりと、自由に、たななるものは、作る事が出来た訣である。棚の一つの型をなす「盆棚」と称せられるものは、決して、普通の吊り棚でも、雁木でもない。此は、地上に立てた柱の上に、座を設けたものが、移して座敷のうへにも、作られる様になつたのであつた。
だが、かうしたたなの中にも、自然なる分化があつて、地上から隔離する方法によつて、名を異にする様になつた。一つは、盆棚形式のもので、柱を主部とするものである。珠玉の神を御倉板挙(記)といふなどは、倉の棚に、此神を祀つたものと見てゐるが、これは、くらだなに対する理会が、届かないからである。くらだなが即倉で、倉の神が玉であり、同時に、天照皇大神の魂のしんぼるであり、また米のしんぼるとして、倉棚に据ゑられたのである。
この倉は、地上に柱を立て、その脚の上に板を挙げて、それに、五穀及びその守護霊を据ゑて、仮り屋根をしておく、といふ程度のものであつたらしく、「神座なる棚」の略語、くらの義である。時には、その屋根さへもないものがあつて、それを古くから、さずきと言うた。後に、この言葉が分化した為に、而も、さずきその物の脚が高くなつた為に、別名やぐらと称する称へを生んだ。神霊を斎ひ込める場合には、屋根は要るが、それでなくて、一時的に神を迎へる為ならば、屋根のないのを原則としてゐた。後…