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作品ID | 148 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」 筑摩書房 1968(昭和43)年8月25日 |
初出 | 「希望」1916(大正5)年5月 |
入力者 | j.utiyama |
校正者 | 野口英司 |
公開 / 更新 | 1998-03-16 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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一
元治元年十一月二十六日、京都守護の任に当つてゐた、加州家の同勢は、折からの長州征伐に加はる為、国家老の長大隅守を大将にして、大阪の安治川口から、船を出した。
小頭は、佃久太夫、山岸三十郎の二人で、佃組の船には白幟、山岸組の船には赤幟が立つてゐる。五百石積の金毘羅船が、皆それぞれ、紅白の幟を風にひるがへして、川口を海へのり出した時の景色は、如何にも勇ましいものだつたさうである。
しかし、その船へ乗組んでゐる連中は、中々勇ましがつてゐる所の騒ぎではない。第一どの船にも、一艘に、主従三十四人、船頭四人、併せて三十八人づつ乗組んでゐる。だから、船の中は、皆、身動きも碌に出来ない程狭い。それから又、胴の間には、沢庵漬を鰌桶へつめたのが、足のふみ所もない位、ならべてある。慣れない内は、その臭気を嗅ぐと、誰でもすぐに、吐き気を催した。最後に旧暦の十一月下旬だから、海上を吹いて来る風が、まるで身を切るやうに冷い。殊に日が暮れてからは、摩耶颪なり水の上なり、流石に北国生れの若侍も、多くは歯の根が合はないと云ふ始末であつた。
その上、船の中には、虱が沢山ゐた。それも、着物の縫目にかくれてゐるなどと云ふ、生やさしい虱ではない。帆にもたかつてゐる。幟にもたかつてゐる。檣にもたかつてゐる。錨にもたかつてゐる。少し誇張して云へば、人間を乗せる為の船だか、虱を乗せる為の船だか、判然しない位である。勿論その位だから、着物には、何十匹となくたかつてゐる。さうして、それが人肌にさへさはれば、すぐに、いい気になつて、ちくちくやる。それも、五匹や十匹なら、どうにでも、せいとうのしやうがあるが、前にも云つた通り、白胡麻をふり撒いたやうに、沢山ゐるのだから、とても、とりつくすなどと云ふ事が出来る筈のものではない。だから、佃組と山岸組とを問はず、船中にゐる侍と云ふ侍の体は、悉く虱に食はれた痕で、まるで麻疹[#「麻疹」は底本では「痳疹」]にでも罹つたやうに、胸と云はず腹と云はず、一面に赤く腫れ上がつてゐた。
しかし、いくら手のつけやうがないと云つても、そのまま打遣つて置くわけには、猶行かない。そこで、船中の連中は、暇さへあれば、虱狩をやつた。上は家老から下は草履取まで、悉く裸になつて、随所にゐる虱をてんでに茶呑茶碗の中へ、取つては入れ、取つては入れするのである。大きな帆に内海の冬の日をうけた金毘羅船の中で、三十何人かの侍が、湯もじ一つに茶呑茶碗を持つて、帆綱の下、錨の陰と、一生懸命に虱ばかり、さがして歩いた時の事を想像すると、今日では誰しも滑稽だと云ふ感じが先に立つが、「必要」の前に、一切の事が真面目になるのは、維新以前と雖も、今と別に変りはない。――そこで、一船の裸侍は、それ自身が大きな虱のやうに、寒いのを我慢して、毎日根気よく、そこここと歩きながら、丹念に板の間の虱ばかり…