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素描三題
そびょうさんだい
作品ID157
著者芥川 竜之介
文字遣い新字旧仮名
底本 「芥川龍之介全集 第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者j.utiyama
校正者j.utiyama
公開 / 更新1999-02-15 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 お宗さん

 お宗さんは髪の毛の薄いためにどこへも縁づかない覚悟をしてゐた。が、髪の毛の薄いことはそれ自身お宗さんには愉快ではなかつた。お宗さんは地肌の透いた頭へいろいろの毛生え薬をなすつたりした。
「どれも広告ほどのことはないんですよ。」
 かういふお宗さんも声だけは善かつた。そこで賃仕事の片手間に一中節の稽古をし、もし上達するものとすれば師匠になるのも善いと思ひ出した。しかし一中節はむづかしかつた。のみならず酒癖の悪い師匠は、時々お宗さんをつかまへては小言以上の小言を言つたりした。
「お前なんどは肥たご桶を叩いて甚句でもうたつてお出でなさりや善いのに。」
 師匠は酒の醒めてゐる時には決してお宗さんにも粗略ではなかつた。しかし一度言はれた小言はお宗さんをひがませずには措かなかつた。「どうせあたしは檀那衆のやうによくする訣には行かないんだから。」――お宗さんは時々兄さんにもそんな愚痴などをこぼしてゐた。
「曾我の五郎と十郎とは一体どつちが兄さんです?」
 四十を越したお宗さんは「形見おくり」を習つてゐるうちに真面目にかういふことを尋ねたりした。この返事には誰も当惑した。誰も? ――いや「誰も」ではない。やつと小学校へはひつた僕はすぐに「十郎が兄さんですよ」といひ、反つてみんなに笑はれたのを羞しがらずにはゐられなかつた。
「何しろああいふお師匠さんぢやね。」
 一中節の師匠になることはとうとうお宗さんには出来なかつた。お宗さんはあの震災のために家も何も焼かれたとかいふことだつた。のみならず一時は頭の具合も妙になつたとかいふことだつた。僕はお宗さんの髪の毛も何か頭の病気のために薄いのではないかと思つてゐる。お宗さんの使つた毛生え薬は何も売薬ばかりではない。お宗さんはいつか蝙蝠の生き血を一面に頭に塗りつけてゐた。
「鼠の子の生き血も善いといふんですけれども。」
 お宗さんは円い目をくるくるさせながら、きよとんとしてこんなことも言つたものだつた。

     二 裏畠

 それはKさんの家の後ろにある二百坪ばかりの畠だつた。Kさんはそこに野菜のほかにもポンポン・ダリアを作つてゐた。その畠を塞いでゐるのは一日に五、六度汽車の通る一間ばかりの堤だつた。
 或夏も暮れかかつた午後、Kさんはこの畠へ出、もう花もまれになつたポンポン・ダリアに鋏を入れてゐた。すると汽車は堤の上をどつと一息に通りすぎながら、何度も鋭い非常警笛を鳴らした。同時に何か黒いものが一つ畠の隅へころげ落ちた。Kさんはそちらを見る拍子に「又庭鳥がやられたな」と思つた。それは実際黒い羽根に青い光沢を持つてゐるミノルカ種の庭鳥にそつくりだつた。のみならず何か[#挿絵]冠らしいものもちらりと見えたのに違ひなかつた。
 しかし庭鳥と思つたのはKさんにはほんの一瞬間だつた。Kさんはそこに佇んだまま、あつ…

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