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秋山図
しゅうざんず
作品ID162
著者芥川 竜之介
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文学全集28芥川龍之介集」 集英社
1972(昭和47)年9月8日
初出「改造」1921(大正10)年1月
入力者j.utiyama
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新1999-05-15 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「――黄大癡といえば、大癡の秋山図をご覧になったことがありますか?」
 ある秋の夜、甌香閣を訪ねた王石谷は、主人の[#挿絵]南田と茶を啜りながら、話のついでにこんな問を発した。
「いや、見たことはありません。あなたはご覧になったのですか?」
 大癡老人黄公望は、梅道人や黄鶴山樵とともに、元朝の画の神手である。[#挿絵]南田はこう言いながら、かつて見た沙磧図や富春巻が、髣髴と眼底に浮ぶような気がした。
「さあ、それが見たと言って好いか、見ないと言って好いか、不思議なことになっているのですが、――」
「見たと言って好いか、見ないと言って好いか、――」
 [#挿絵]南田は訝しそうに、王石谷の顔へ眼をやった。
「模本でもご覧になったのですか?」
「いや、模本を見たのでもないのです。とにかく真蹟は見たのですが、――それも私ばかりではありません。この秋山図のことについては、煙客先生(王時敏)や廉州先生(王鑑)も、それぞれ因縁がおありなのです」
 王石谷はまた茶を啜った後、考深そうに微笑した。
「ご退屈でなければ話しましょうか?」
「どうぞ」
 [#挿絵]南田は銅檠の火を掻き立ててから、慇懃に客を促した。

      *     *     *

 元宰先生(董其昌)が在世中のことです。ある年の秋先生は、煙客翁と画論をしている内に、ふと翁に、黄一峯の秋山図を見たかと尋ねました。翁はご承知のとおり画事の上では、大癡を宗としていた人です。ですから大癡の画という画はいやしくも人間にある限り、看尽したと言ってもかまいません。が、その秋山図という画ばかりは、ついに見たことがないのです。
「いや、見るどころか、名を聞いたこともないくらいです」
 煙客翁はそう答えながら、妙に恥しいような気がしたそうです。
「では機会のあり次第、ぜひ一度は見ておおきなさい。夏山図や浮嵐図に比べると、また一段と出色の作です。おそらくは大癡老人の諸本の中でも、白眉ではないかと思いますよ」
「そんな傑作ですか? それはぜひ見たいものですが、いったい誰が持っているのです?」
「潤州の張氏の家にあるのです。金山寺へでも行った時に、門を叩いてご覧なさい。私が紹介状を書いて上げます」
 煙客翁は先生の手簡を貰うと、すぐに潤州へ出かけて行きました。何しろそういう妙画を蔵している家ですから、そこへ行けば黄一峯の外にも、まだいろいろ歴代の墨妙を見ることができるに違いない。――こう思った煙客翁は、もう一刻も西園の書房に、じっとしていることはできないような、落着かない気もちになっていたのです。
 ところが潤州へ来て観ると、楽みにしていた張氏の家というのは、なるほど構えは広そうですが、いかにも荒れ果てているのです。墻には蔦が絡んでいるし、庭には草が茂っている。その中に鶏や家鴨などが、客の来たのを珍しそうに眺めているという始末で…

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