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![]() とらのはなし |
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作品ID | 168 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「芥川龍之介作品集 第四巻」 昭和出版社 1965(昭和40)年12月20日 |
初出 | 「大阪毎日新聞」1926(大正15)年1月 |
入力者 | j.utiyama |
校正者 | かとうかおり |
公開 / 更新 | 1999-01-27 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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師走の或夜、父は五歳になる男の子を抱き、一しよに炬燵へはひつてゐる。
子 お父さん何かお話しをして!
父 何の話?
子 何でも。……うん、虎のお話が好いや。
父 虎の話? 虎の話は困つたな。
子 よう、虎の話をさあ。
父 虎の話と。……ぢや虎の話をして上げよう。昔、朝鮮のらつぱ卒がね、すつかりお酒に酔つ払らつて、山路にぐうぐう寝てゐたとさ。すると顔が濡れるもんだから、何かと思つて目をさますと、いつの間にか大きい虎が一匹、尻つ尾の先に水をつけてはらつぱ卒の顔を撫でてゐたとさ。
子 どうして?
父 そりやらつぱ卒が酔つぱらつてゐたから、お酒つ臭い臭ひをなくした上、食べることにしようと思つたのさ。
子 それから?
父 それかららつぱ卒は覚悟をきめて、力一ぱい持つてゐたらつぱを虎のお尻へ突き立てたとさ。虎は痛いのにびつくりして、どんどん町の方へ逃げ出したとさ。
子 死ななかつたの?
父 そのうちに町のまん中へ来ると、とうとうお尻の傷の為に倒れて死んでしまつたとさ。けれどもお尻に立つてゐたらつぱは虎の死んでしまふまで、ぶうぶう鳴りつづけに鳴つてゐたとさ。
子 (笑ふ)らつぱ卒は?
父 らつぱ卒は大へん褒められて虎退治の御褒美を貰つたつて……さあ、それでおしまひだよ。
子 いやだ。何かもう一つ。
父 今度は虎の話ぢやないよ。
子 ううん、今度も虎のお話をして。
父 そんなに虎の話ばかりありやしない。ええと、何かなかつたかな?……ああ、ぢやもう一つして上げよう。これも朝鮮の猟師がね、或山奥へ狩をしに行つたら、丁度目の下の谷底に虎が一匹歩いてゐたとさ。
子 大きい虎?
父 うん、大きい虎がね。猟師は好い獲物だと思つて早速鉄砲へ玉をこめたとさ。
子 打つたの?
父 ところが打たうとした時にね、虎はいきなり身をちぢめたと思ふと、向うの大岩に飛びあがつたとさ。けれども宙へ躍り上つたぎり、生憎大岩へとどかないうちに地びたへ落ちてしまつたとさ。
子 それから?
父 それから虎はもう一度もとの処へ帰つて来た上、又大岩へ飛びかかつたとさ。
子 今度はうまく飛びついた?
父 今度もまた落ちてしまつたとさ。すると如何にも羞しさうに長い尻つ尾を垂らしたなり、何処かへ行つてしまつたとさ。
子 ぢや虎は打たなかつたの?
父 うん、あんまりその容子が人間のやうに見えたもんだから、可哀さうになつてよしてしまつたつて。
子 つまらないなあ、そんなお話。何かもう一つ虎のお話をして。
父 もう一つ? 今度は猫の話をしよう。長靴をはいた猫の話を。
子 ううん、もう一つ虎のお話をして。
父 仕かたがないな。……ぢや昔大きい虎がね。子虎を三匹持つてゐたとさ。虎はいつも日暮になると三匹の子虎と遊んでゐたとさ。それから夜は洞穴へはひつて三匹の子虎と一し…