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青猫
あおねこ
作品ID1768
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第一卷」 筑摩書房
1975(昭和50)年5月25日
初出薄暮の部屋「詩歌 第七卷第十二號」1917(大正6)年11月号<br>寢臺を求む「感情 第二年四月號」1917(大正6)年4月号<br>沖を眺望する「感情 第二年二月號」1917(大正6)年2月号<br>強い腕に抱かる「感情 第二年四月號」1917(大正6)年4月号<br>群集の中を求めて歩く「感情 第二年六月號」1917(大正6)年6月号<br>その手は菓子である「感情 第二年六月號」1917(大正6)年6月号<br>青猫「詩歌 第七卷第四號」1917(大正6)年4月号<br>月夜「詩歌 第七卷第四號」1917(大正6)年4月号<br>春の感情「新生 創刊號」1918(大正7)年1月号<br>野原に寢る「秀才文壇 十七年六號」1917(大正6)年6月号<br>蠅の唱歌「感情 第二年五月號」1917(大正6)年5月号<br>恐ろしく憂鬱なる「感情 第二年五月號」1917(大正6)年5月号<br>憂鬱なる花見「感情 第二年六月號」1917(大正6)年6月号<br>夢にみる空家の庭の祕密「感情 第二年六月號」1917(大正6)年6月号<br>黒い風琴「感情 第三年四月號」1918(大正7)年4月号<br>憂鬱の川邊「感情 第三年四月號」1918(大正7)年4月号<br>佛の見たる幻想の世界「文章世界 第十三卷一號」1918(大正7)年1月号<br>鷄「文章世界 第十三卷一號」1918(大正7)年1月号<br>みじめな街燈「詩聖 第九號」1922(大正11)年6月号<br>恐ろしい山「日本詩人 第二卷第五號」1922(大正11)年5月号<br>題のない歌「日本詩人 第二卷第五號」1922(大正11)年5月号<br>艶めかしい墓場「詩聖 第九號」1922(大正11)年6月号<br>くづれる肉體「詩聖 第九號」1922(大正11)年6月号<br>鴉毛の婦人「詩聖 第八號」1922(大正11)年5月号<br>緑色の笛「詩聖 第八號」1922(大正11)年5月号<br>寄生蟹のうた「日本詩人 第二卷第六號」1922(大正11)年6月号<br>かなしい囚人「日本詩人 第二卷第六號」1922(大正11)年6月号<br>猫柳「詩聖 第八號」1922(大正11)年5月号<br>憂鬱な風景「日本詩人 第二卷第七號」1922(大正11)年7月号<br>野鼠「日本詩集 第五册」1923(大正12)年5月刊<br>五月の死びと「嵐」1922(大正11)年6月号<br>輪※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]と轉生「日本詩人 第二卷第七號」1922(大正11)年7月号<br>さびしい來歴「日本詩人 第二卷第六號」1922(大正11)年6月号<br>怠惰の暦「嵐」1922(大正11)年6月号<br>閑雅な食慾「日本詩人 第一卷第三號」1921(大正10)年12月号<br>馬車の中で「東京朝日新聞」1922(大正11)年4月8日<br>青空「日本詩人 第一卷第三號」1921(大正10)年12月号<br>最も原始的な情緒「表現 第一卷第二號」1921(大正10)年12月号<br>天候と思想「表現 第一卷第二號」1921(大正10)年12月号<br>笛の音のする里へ行かうよ「日本詩人 第二卷第五號」1922(大正11)年5月号<br>蒼ざめた馬「日本詩人 創刊號」1921(大正10)年10月号<br>思想は一つの意匠であるか「日本詩人 第一卷第三號」1921(大正10)年12月号<br>厭やらしい景物「表現 第一卷第二號」1921(大正10)年12月号<br>囀鳥「日本詩人 創刊號」1921(大正10)年10月号<br>惡い季節「日本詩人 第二卷第一號」1922(大正11)年1月号<br>遺傳「日本詩人 第一卷第三號」1921(大正10)年12月号<br>顏「日本詩人 第二卷第一號」1922(大正11)年1月号<br>白い牡鷄「婦人公論 第七卷第五號」1922(大正11)年5月号<br>自然の背後に隱れて居る「婦人之友 第十六卷二號」1922(大正11)年2月号<br>艶めける靈魂「現代詩人選集」1921(大正10)年2月刊<br>花やかなる情緒「日本詩人 創刊號」1921(大正10)年10月号<br>片戀「婦人公論 第七卷第五號」1922(大正11)年5月号<br>夢「日本詩人 第二卷第一號」1922(大正11)年1月号<br>春宵「日本詩人 第二卷第一號」1922(大正11)年1月号<br>軍隊「日本詩人 第二卷第三號」1922(大正11)年3月号
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-07-17 / 2018-12-14
長さの目安約 89 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

  序

      [#挿絵]

 私の情緒は、激情といふ範疇に屬しない。むしろそれはしづかな靈魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聽く横笛のひびきである。
 ある人は私の詩を官能的であるといふ。或はさういふものがあるかも知れない。けれども正しい見方はそれに反對する。すべての「官能的なもの」は、決して私の詩のモチーヴでない。それは主音の上にかかる倚音である。もしくは裝飾音である。私は感覺に醉ひ得る人間でない。私の眞に歌はうとする者は別である。それはあの艶めかしい一つの情緒――春の夜に聽く横笛の音――である。それは感覺でない、激情でない、興奮でない、ただ靜かに靈魂の影をながれる雲の郷愁である。遠い遠い實在への涙ぐましいあこがれである。
 およそいつの時、いつの頃よりしてそれが來れるかを知らない。まだ幼けなき少年の頃よりして、この故しらぬ靈魂の郷愁になやまされた。夜床はしろじろとした涙にぬれ、明くれば鷄の聲に感傷のはらわたをかきむしられた。日頃はあてもなく異性を戀して春の野末を馳せめぐり、ひとり樹木の幹に抱きついて「戀を戀する人」の愁をうたつた。
 げにこの一つの情緒は、私の遠い氣質に屬してゐる。そは少年の昔よりして、今も猶私の夜床の枕におとづれ、なまめかしくも涙ぐましき横笛の音色をひびかす、いみじき横笛の音にもつれ吹き、なにともしれぬ哀愁の思ひにそそられて書くのである。
 かくて私は詩をつくる。燈火の周圍にむらがる蛾のやうに、ある花やかにしてふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ、そが見えざる實在の本質に觸れようとして、むなしくかすてらの脆い翼をばたばたさせる。私はあはれな空想兒、かなしい蛾蟲の運命である。
 されば私の詩を讀む人は、ひとへに私の言葉のかげに、この哀切かぎりなきえれぢいを聽くであらう。その笛の音こそは「艶めかしき形而上學」である。その笛の音こそはプラトオのエロス――靈魂の實在にあこがれる羽ばたき――である。そしてげにそれのみが私の所謂「音樂」である。「詩は何よりもまづ音樂でなければならない」といふ、その象徴詩派の信條たる音樂である。

      [#挿絵]

 感覺的鬱憂性! それもまた私の遠い氣質に屬してゐる。それは春光の下に群生する櫻のやうに、或いはまた菊の酢えたる匂ひのやうに、よにも鬱陶しくわびしさの限りである。かくて私の生活は官能的にも頽廢の薄暮をかなしむであらう。げに憂鬱なる、憂鬱なるそれはまた私の敍情詩の主題である。
 とはいへ私の最近の生活は、さうした感覺的のものであるよりはむしろより多く思索的の鬱憂性に傾いてゐる。(たとへば集中「意志と無明」の篇中に收められた詩篇の如きこの傾向に屬してゐる。これらの詩に見る宿命論的な暗鬱性は、全く思索生活の情緒に映じた殘像である。)かく私の詩の或るものは、おほむね感覺的鬱憂性に屬し、他の或るものは…

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