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秋と漫歩
あきとまんぽ
作品ID1772
著者萩原 朔太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「猫町 他十七篇」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年5月16日
入力者大野晋
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2001-10-11 / 2016-01-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 四季を通じて、私は秋という季節が一番好きである。もっともこれは、たいていの人に共通の好みであろう。元来日本という国は、気候的にあまり住みよい国ではない。夏は湿気が多く、蒸暑いことで世界無比といわれているし、春は空が低く憂鬱であり、冬は紙の家の設備に対して、寒さがすこしひどすぎる。(しかもその紙の家でなければ、夏の暑さがしのげないのだ。)日本の気候では、ただ秋だけが快適であり、よく人間の生活環境に適している。
 だが私が秋を好むのは、こうした一般的の理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。というのは、秋が戸外の散歩に適しているからである。元来、私は甚だ趣味や道楽のない人間である。釣魚とか、ゴルフとか、美術品の蒐集などという趣味娯楽は、私の全く知らないところである。碁、将棋の類は好きであるが、友人との交際がない私は、めったに手合せする相手がないので、結局それもしないじまいでいる次第だ。旅行ということも、私は殆どしたことがない。嫌いというわけではないが、荷造りや旅費の計算が面倒であり、それに宿屋に泊ることが厭だからだ。こうした私の性癖を知ってる人は、私が毎日家の中で、為すこともない退屈の時間を殺すために、雑誌でもよんでごろごろしているのだろうと想像している。しかるに実際は大ちがいで、私は書き物をする時の外、殆ど半日も家の中にいたことがない。どうするかといえば、野良犬みたいに終日戸外をほッつき廻っているのである。そしてこれが、私の唯一の「娯楽」でもあり、「消閑法」でもあるのである。つまり私が秋の季節を好むのは、戸外生活をするルンペンたちが、それを好むのと同じ理由によるのである。
 前に私は「散歩」という字を使っているが、私の場合のは少しこの言葉に適合しない。いわんや近頃流行のハイキングなんかという、颯爽たる風情の歩き様をするのではない。多くの場合、私は行く先の目的もなく方角もなく、失神者のようにうろうろと歩き廻っているのである。そこで「漫歩」という語がいちばん適切しているのだけれども、私の場合は瞑想に耽り続けているのであるから、かりに言葉があったら「瞑歩」という字を使いたいと思うのである。
 私はどんな所でも歩き廻る。だがたいていの場合は、市中の賑やかな雑沓の中を歩いている。少し歩き疲れた時は、どこでもベンチを探して腰をかける。この目的には、公園と停車場とがいちばん好い。特に停車場の待合室は好い。単に休息するばかりでなく、そこに旅客や群集を見ていることが楽しみなのだ。時として私は、単にその楽しみだけで停車場へ行き、三時間もぼんやり坐っていることがある。それが自分の家では、一時間も退屈でいることが出来ないのだ。ポオの或る小説の中に、終日群集の中を歩き廻ることのほか、心の落着きを得られない不幸な男の話が出ているが、私にはその心理がよく解るように思われる。私の故郷の町…

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