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髯籠の話
ひげこのはなし
作品ID18393
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 2」 中央公論社
1995(平成7)年3月10日
初出「郷土研究 第三巻第二・三号、第四巻第九号」1915(大正4)年4月、5月、1916(大正5)年12月
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2006-04-13 / 2014-09-18
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

十三四年前、友人等と葛城山の方への旅行した時、牛滝から犬鳴山へ尾根伝ひの路に迷うて、紀州西河原と言ふ山村に下りて了ひ、はからずも一夜の宿を取つたことがある。其翌朝早く其処を立つて、一里ばかり田中の道を下りに、粉河寺の裏門に辿り着き、御堂を拝し畢つて表門を出ると、まづ目に着いたものがある。其日はちようど、祭りのごえん(後宴か御縁か)と言うて、まだ戸を閉ぢた家の多い町に、曳き捨てられただんじりの車の上に、大きな髯籠が仰向けに据ゑられてある。長い髯の車にあまり地上に靡いてゐるのを、此は何かと道行く人に聞けば、祭りのだんじりの竿の尖きに附ける飾りと言ふ事であつた。最早十余年を過ぎ記憶も漸く薄らがんとしてゐた処へ、いつぞや南方氏が書かれた目籠の話を拝見して、再此が目の前にちらつき出した。尾芝氏の柱松考(郷土研究三の一)もどうやら此に関聯した題目であるらしい。因つて、自分の此に就ての考へを、少し纏めて批判を願ひたいと思ふ。
髯籠の由来を説くに当つて、まづ考へるのは、標山の事である。避雷針のなかつた時代には、何時何処に雷神が降るか判らなかつたと同じく、所謂天降り着く神々に、自由自在に土地を占められては、如何に用心に用心を重ねても、何時神の標めた山を犯して祟りを受けるか知れない。其故になるべくは、神々の天降りに先だち、人里との交渉の尠い比較的狭少な地域で、さまで迷惑にならぬ土地を、神の標山と此方で勝手に極めて迎へ奉るのを、最完全な手段と昔の人は考へたらしい。即、標山は、恐怖と信仰との永い生活の後に、やつと案出した無邪気にして、而も敬虔なる避雷針であつたのである。勿論神様の方でも、さう/\人間の思ふまゝになつて居られては威厳にも係ること故、中には天ノ探女の類で、標山以外の地へ推して出られる神もあつたらうが、大体に於ては、まづ人民の希望に合し、彼らが用意した場所に於て、祭りを享けられたことであらう。
ちはやぶる神の社しなかりせば、春日の野辺に粟蒔かましを(万葉巻三)
と歌うた万葉集の歌の如きは、此標山を迷惑がつた時代の人の心持ちを、よく現してゐると思ふ。
さて、右の如く人民の迷惑も大ならず、且神慮にも協ひさうな地が見たてられて後、第一に起るべき問題は、何を以て神案内の目標とするかと言ふことである。後世には、人作りの柱・旗竿なども発明せられたが、最初はやはり、標山中の最神の眼に触れさうな処、つまりどこか最天に近い処と言ふ事になつて、高山の喬木などに十目は集つたことゝ思ふ。此の如くして、松なり杉なり真木なり、神々の依りますべき木が定つた上で、更に第二の問題が起る。即、其木が一本松・一本杉と言ふ様に注意を惹き易い場合はとにかく、さもないと折角標山を定めた為に、雷避けが雷招きになつて、思はぬ辺りに神の降臨を見ることになると困るから、茲に神にとつてはよりしろ、人間から言へ…

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