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まといの話
まといのはなし
作品ID18400
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 2」 中央公論社
1995(平成7)年3月10日
初出「土俗と伝説 第一巻第三号」1918(大正7)年10月
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2007-06-15 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 のぼりといふもの

中頃文事にふつゝかであつた武家は、黙つて色々な為事をして置いた。為に、多くの田舎侍の間に、自然に進化して来た事柄は、其固定した時や語原さへ、定かならぬが多い。然るに、軍学者一流の事始めを説きたがるてあひに、其がある時、ある一人のだし抜けの思ひつきによつて、今のまゝの姿をして現れた、ときめられ勝ちであつた。其話に年月日が備はつて居れば居る程、聴き手は咄し手を信用して、互に印判明白に動かぬ物、と認めて来た。明敏な読者は、追ひ書きの日附けが確かなれば確かなるだけ、真実とは、ともすれば遠のきがちになつて居る、様々な場合を想ひ起されるであらう。
康正二年の萱振合戦に、敵どうしに分れた両畠山、旗の色同じくて、敵御方の分ちのつきかねる処から、政長方で幟をつけたのが、本朝幟の始め(南朝紀伝)と言ふ伝へなども、信ずべくば、此頃が略、後世の幟の完成した時期、と言ふ点だけである。
のぼりはた袖(相国寺塔建立記)と言ふ語が、つゆ紐の孔を乳にした、幟旗風の物と見る事が出来れば、其傍証となる事が出来る訣である。千幾百年前の死語の語原が、明らかに辿られて、さのみ遠くない武家の為事に到つては、語の意義さへおぼつかないのは、嘘の様な事実で、兼ねて時代の新古ばかりを目安にして、外に山と積まれた原因を考へに置かずに、語原論の値打ちをきめてかゝらうとする常識家に向けての、よい見せしめである。
のぼるは、上へ向けての行進動作であつて、高く飜ると言ふ内容を決して、持つ事は出来ぬ。若し「幟」を「上り」だなど言ふ説を信じて居る方があつたら、「はためく」からの「旗」だと言ふのと一類の、お手軽流儀だ、と考へ直されたい。遥か後に、そらのぼりを立てゝ、陣備へをしたなすみ松合戦の記録(大友興廃記)があるから、空への上り等いふ、考へ落ちめいた事を、証拠に立てようとする人もあるかも知れぬ。併し遺憾な事には、此頃の幟が、今の幟と似た為立ての物なら「蝉口」に構へた車の力で、引きのぼす筈はない。さすれば、幟だけが「上り」と言ふ名を負ふ、特別の理由はなくなる。思ふに「上り」を語原と主張する為には、五月幟風の吹き貫き・吹き流しの類を「のぼり」と言うた確かな証拠が見出されてから、復の御相談である。今では、既に亡びて了うた武家頃のある地方の方言であつたのだらう、としか思案がつかぬのである。

     二 まといの意義

おなじ様な事は、まといの上にもある。火消しのまといばかりを知つた人は、とかく纏の字を書くものと信じて居られようが、既に「三才図会」あたりにも、※[#「巾+正」、219-16]幟・纏幟・円居などゝ宛てゝ、正字を知らずと言うてゐる。併し、一応誰しも思ひつく的の方面から、探りをおろして見る必要があらう。
的と言ふ語は、いくはなどゝは違うて、古くは独り立ちするよりも、熟語となつて表現能力が…

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