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![]() はちまきのはなし |
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作品ID | 18407 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 3」 中央公論社 1995(平成7)年4月10日 |
初出 | 「考古学会例会講演」1926(大正15)年6月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2007-06-15 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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一
現在の事物の用途が、昔から全く変らなかつた、と考へるのは、大きな間違ひである。用途が分化すれば、随つて、其意味もだん/″\変化して来る。はちまきの話は、ちようど此を説明するに、よい例になるだらうと思ふ。
さて、はちまきは、どういふ処から出たか、と今更らしく言ふまでもないが、被りものゝはちまきに到るまでに、幾度かの変遷を経てゐる。はちまき・手拭ひなどは、もとは一つもので、更にはちまきは、頭に巻くものか、顔を隠すものか、ほゝかむりするのがほんとうか、と言ふ点になると、色々の問題が含まれてゐる。手拭ひは恐らく、以前は顔を隠すものと、手を拭ふものとの両方面があつたのが、だん/″\手を拭ふ方面へ進んで来たのかと思はれる。
私が沖縄へ行つた時撮つた、かつらやはちまきの写真があるが、誰でも此を見れば、かつらとはちまきとは関係のあるものだ、と考へるに違ひない。とにかく、今役者のつけるかつらと、昔の人が被つたかつらとは、同一の起原から出たものだと言ふことだけは訣る。
名高い山城の桂ノ里にゐた「桂女」は、一種の巫女であつた事は、色々説明せられてゐる通りであるが、桂ノ里に住んでゐたから桂女と称するのか、それともかつらを著けてゐるから桂女と称したのか、尠くとも、二様の見方があるであらう。かつらおびと称するものも、果して、桂女がするからさう称するのか、其とも、もとはかつらであつたのが、変つてからでもかつらおびを称せられたのか、色々と考へられる。ともかく、桂女と言ふのは、頭にかつらをしてゐたから、さう言はれたのだらう、と私は考へる。桂ノ里に、必、住むものとは限らないから、偶然、桂ノ里に住んでゐたのであらう。
かつらの呼び方であるが、かつらと清んで言ふのが正しいか、かづらと濁るのが正しいか。昔は音の清濁は、其ほど正確ではなかつたのだから、かづらと濁つてもよいので、寧、私の考へ方からいふと、かづらと言ふ方が統一がついて都合がよいのである。
さてかづらからどういふ風にして、はちまきにまで到達する変化を経たか。
二
桂女が巫女であつた事はあたりまへで、柳田先生が「女性」の七巻五号に「桂女由来記」と言ふ論文を載せられて、色々材料も提供せられてゐるが、女が戸主であつたこと、将軍家に祝福に行つたこと、御香宮に関係のあつたこと、それから巫女であつた事に間違ひはない。社から離れても、巫女であつた事は事実である。そして、かづらを頭に纏いてゐたからかつらめと称したので、かつらまき・かつらおびのかつらも、かづらである。
かづらには、ひかげのかづら・まさきのかづらが古くからあり、神事に仕へる人の纏きつける草や柔い木の枝などで、此が後のかもじとなるのである。髢は、神々の貌をかたどつたから、称するのだといふが、かつらの「か」を取つてか文字と言うたのが、ほんとうであらう。倭名鈔にかつら・…