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駆逐されんとする文人
くちくされんとするぶんじん
作品ID2394
著者内田 魯庵
文字遣い新字新仮名
底本 「魯庵の明治 山口昌男、坪内祐三編」 講談社文芸文庫、講談社
1997(平成9)年5月9日
初出「現代」1913(大正2)年5月
入力者斉藤省二
校正者松永正敏
公開 / 更新2001-05-19 / 2016-02-06
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。余の住居は往来から十間奥へ引込んでいたゆえ、静かで塵埃の少ないのを喜んでいた。処が二三年前市区改正になって、表通りを三間半削られたので往来が近くなった。道路が広くなって交通が便利になったお庇に人通りが殖えた。自働車が盛んに通るようになった。自然商店が段々殖えて来て、近頃は近所の小さな有るか無いかのお稲荷様を担ぎ上げて月に三度の縁日を開き、其晩は十二時過ぎまでも近所が騒がしい。同時に塵埃が殖えて、少し風が吹くと、書斎の机の上が忽ちザラ/\する。眺望は無い方じゃ無いが、次第にブリキ屋根や襁褓の干したのを余計眺めるようになった。土地の繁昌は結構だが、自働車の音は我々を駆逐する声、塵埃の飛散は我々を吹払う風である。
 ▲文明とは物質生活の膨張であって、同時に精神生活の退縮である。文明を呪う声が精神生活の側から生ずるのは当然である。
 ▲或る人が来て、世間の人は電車が出来て便利になったというが、我々は電車のお庇で辺鄙が賑かになって家賃が騰るので、延長する度毎に段々遠くへ転さなくてはならないから、電車の出来たのが却て不便だと云った。
 ▲近頃は巣鴨や大塚、中野や渋谷あたりから中央の市街へ毎日通う人は珍らしく無い。逗子や鎌倉から通う人さえある。便利だと云えば便利だが、茲に不便があると云えば又云われん事は無い。電車や自働車の発達したお庇に、金のあるものが市街を離れた郊外に広大なる邸宅を構えるは贅沢だが、金の無いものが家賃の安い処へと段々引込まざるを得なくなるのは悲惨である。同じ交通の便利の恩恵を受けるにも両様の意味がある。
 ▲戸川秋骨君が曾て大久保を高等裏店だと云ったのは適切の名言である。
 ▲其上に我々は市外に駆逐されるばかりじゃない。毎日々々高価な電車税を払わねばならない。交通税共に往復九銭というのは決して高くは無かろうが、月に積ると莫大になる。我々の知人中には一家の電車代に毎月十円乃至十五円を支払う者は珍らしく無い。之だけの電車税を払うのは中産者に取っては相当な苦痛であるが、此苦痛を忍びつゝ交通の便利の恩恵を謝さねばならんのだ。
 ▲加之ならず、電車がイクラ迅速でも、距離が遠ければ遠いほど時間を要する。逗子から毎日東京へ通った経験のある人の咄に、汽車の時間は往復四時間だが、汽車の待合せやらステーションから目的地までの時間を合して少くも五時間若くは其以上を要すると云った。ツマリ往復に半日を無駄にして了うわけである。逗子は少し遠方過ぎるから別としても、大塚巣鴨辺から通う人は少くも往復一時間半乃至二時間近く費すであろう。毎日之だけの時間を或る一定の仕事に割いたなら、五六年間には相当な大きな仕事が出来る。我々は時間を徒費しつつ電車の恩徳を難有がらなければならんのだ。
 ▲そん…

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