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最古日本の女性生活の根柢
さいこにほんのじょせいせいかつのこんてい |
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作品ID | 24436 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 2」 中央公論社 1995(平成7)年3月10日 |
初出 | 「女性改造 第三巻第九号」1924(大正13年)年9月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2004-01-29 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 19 ページ(500字/頁で計算) |
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一 万葉びと――琉球人
古代の歴史は、事実の記憶から編み出されたものではない。神人に神憑りした神の、物語つた叙事詩から生れて来たのである。謂はゞ夢語りとも言ふべき部分の多い伝への、世を経て後、筆録せられたものに過ぎない。日本の歴史は、語部と言はれた、村々国々の神の物語を伝誦する職業団体の人々の口頭に、久しく保存せられて居た律文が、最初の形であつた。此を散文化して、文字に記したのが、古事記・日本紀其他の書物に残る古代史なのである。だから成立の始めから、宗教に関係して居る。神々の色彩を持たない事実などの、後世に伝はりやうはあるべき筈がないのだ。並みの女のやうに見えて居る女性の伝説も、よく見て行くと、きつと皆神事に与つた女性の、神事以外の生活をとり扱うて居るのであつた。事実に於て、我々が溯れる限りの古代に実在した女性の生活は、一生涯或はある期間は、必巫女として費されて来たものと見てよい。して見れば、古代史に見えた女性の事蹟に、宗教の匂ひの豊かな理由も知れる事である。女として神事に与らなかつた者はなく、神事に関係せなかつた女の身の上が、物語の上に伝誦せられる訣がなかつたのである。
私は所謂有史以後奈良朝以前の日本人を、万葉人と言ひ慣して来た。万葉集は略、日本民族が国家意識を出しかけた時代から、其観念の確立した頃までの人々の内生活の記録とも見るべきものである。此期間の人々を、精神生活の方面から見た時の呼び名として、恰好なものと信じて居る。古事記・日本紀・風土記の記述は、万葉人の生活並びに、若干は、其以前の時代の外生活に触れて居る。茲に万葉集を註釈とし、更に今一つ生きた註釈を利用する便宜が与へられて居る。
万葉人の時代には以前共に携へて移動して来た同民族の落ちこぼれとして、途中の島々に定住した南島の人々を、既に異郷人と考へ出して居た。其南島定住者の後なる沖縄諸島の人々の間の、現在亡びかけて居る民間伝承によつて、我万葉人或は其以前の生活を窺ふ事の出来るのは、実際もつけの幸とも言ふべき、日本の学者にのみ与へられた恩賚である。沖縄人は、百中の九十九までは支那人の末ではない。我々の祖先と手を分つ様になつた頃の姿を、今に多く伝へて居る。万葉人が現に生きて、琉球諸島の上に、万葉生活を、大正の今日、我々の前に再現してくれて居る訣なのだ。
二 君主――巫女
大化の改新の一つの大きな目的は、政教分離にあつた。さう言ふよりは、教権を奪ふ事が、政権をもとりあげる事になると言ふ処に目をつけたのが、此計画者の識見のすぐれて居た事を見せて居る。
村の大きなもの、郡の広さで国と称した地方豪族の根拠地が、数へきれない程あつた。国と言ふと、国郡制定以後の国と紛れ易い故、今此を村と言うて置かう。村々の君主は、次第に強い村の君主に従へられて行き、村々は大きな村の下に併合せられて行つ…