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十二支考
じゅうにしこう |
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作品ID | 2540 |
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副題 | 08 鶏に関する伝説 08 とりにかんするでんせつ |
著者 | 南方 熊楠 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「十二支考(下)〔全2冊〕」 岩波文庫、岩波書店 1994(平成6)年1月17日 |
初出 | 1「太陽 二七ノ一」博文館、1921(大正10)年1月<br>2「太陽 二七ノ二」博文館、1921(大正10)年2月<br>3「太陽 二七ノ三」博文館、1921(大正10)年3月<br>4「太陽 二七ノ五」博文館、1921(大正10)年5月<br>5「太陽 二七ノ一四」博文館、1921(大正10)年12月 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | 門田裕志、仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2009-06-21 / 2016-05-23 |
長さの目安 | 約 132 ページ(500字/頁で計算) |
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晋の宗懍の『荊楚歳時記』註に魏の董[#挿絵]の『問礼俗』に曰く、正月一日を鶏と為し、二日を狗と為し、三日を羊、四日を猪、五日を牛、六日を馬、七日を人と為す。正旦鶏を門に画き、七日人を帳に帖す、今一日鶏を殺さず、二日狗を殺さず、三日は羊、四日は猪、五日は牛、六日は馬を殺さず、七日刑を行わず(人を殺さず)またこの義なり云々。旧く正旦より七日に至る間鶏を食うを忌む。故に歳首ただ新菜を食い、二日人鶏に福施すとありて、正月二日の御祝儀として特に人と鶏に御馳走をしたのだ。『淵鑑類函』一七に『宋書』に曰く、歳朔、常に葦莢、桃梗を設け、鶏を宮および百司の門に磔し以て悪気を禳う。『襄元新語』に曰く、正朝に、県官、羊を殺してその頭を門に懸け、また鶏を磔してこれに副う。俗説以て[#挿絵]気を厭すと為す。元以て河南の伏君に問う、伏君曰く、これ土気上升し、草木萌動す。羊、百草を齧み、鶏五穀を啄む。故にこれを殺して以て生気を助くと。元旦から草木が生え出すを羊と鶏が食い荒すから、これを殺して植物の発芽を助くというのだ。『琅邪代酔編』二に拠れば、董[#挿絵]の元日を鶏、二日を猪などとなす説は、漢の東方朔の『占年書』に基づいたので、その日晴れればその物育ち、陰れば災いありとした。例せば元日晴れれば鶏がよく育ち、二日曇れば豚が育たぬなどだ。さて正月八日は穀の日で、この日の晴曇でその年の豊凶が知れるという説もあったそうだ。宋の[#挿絵]元英の『談藪』には道家言う、鶏犬を先にして人を後にするは、賤者は生じやすく貴者は育しがたければなりとある。漢の応劭の『風俗通』八を見ると〈[#挿絵]平説、臘は刑を迎え徳を送る所以なり、大寒至れば、常に陰勝つを恐る、故に戌日を以て臘す、戌は温気なり、その気の日を用いて鶏を殺し以て刑徳を謝す、雄は門に著け雌は戸に著け、以て陰陽を和し、寒を調え水に配し、風雨を節するなり、青史子の書説、鶏は東方の牲なり、歳終り更始し、東作を弁秩す、万物戸に触れて出づ、故に鶏を以て祀祭するなり〉と載せ、〈また俗説、鶏鳴まさに旦せんとす、人の起居を為す、門もまた昏に閉じ晨に開き、難を扞ぎ固を守る、礼は功に報るを貴ぶ、故に門戸に鶏を用うるなり〉。これは鶏は朝早く鳴いて人を起し門戸を守る大功あれば、その報酬として鶏を殺し門戸に懸くるというので、鶏に取っては誠に迷惑な俗説じゃ。蔡[#挿絵]の『独断』に、臘は歳終の大祭、吏民を縦って宴飲せしむ。正月歳首また臘の儀のごとしとある。件の『風俗通』に出た諸説を攷えると、どうも最初十二月の臘の祭りの節、鶏を殺して門戸に懸けたのが後に元日の式となった事、ちょうど欧州諸国で新年の旧式が多くクリスマスへ繰り上げられたごとし。しかるに〈古はすなわち鶏を磔す、今はすなわち殺さず、また、正月一日、鶏鳴きて起き、まず庭前において爆竹し、以て山[#挿絵…