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小川芋銭先生と私
おがわうせんせんせいとわたし
作品ID3210
著者野口 雨情
文字遣い新字旧仮名
底本 「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」 ぎょうせい
1995(平成7)3月15日
入力者林幸雄
校正者小林繁雄
公開 / 更新2002-10-22 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 小川芋銭先生は、もとは牛里と云ふ雅号で、子規居士時代から俳句を詠んで居られた。牛里とは常陸牛久沼の里の地名から付けた雅号であらうと思はれる。私が、芋銭先生を知つたのは画家としてよりは、俳人として知つて居たので、芋銭先生が画を描くとは知らなかつた。「あの人が画を描くのか」と思つた位ゐであつた。
 芋銭先生を初めて知つたのは恰度取手の在に江野村と言ふところがあつて、そこに普門院と云ふ寺があり、その寺は今でもあると思はれるが、そこに福田井村氏が居られた。井村氏は俳句が上手で、たしか子規居士の「春夏秋冬」にも俳句が入選されて居たと思ふ。この人が回覧誌を始めて居て、お手紙などをいただいた。それは今から四十年も前のことであつた。
 その頃の俳人で「いばらき」の記者をして居た藤田順吉氏、この人は非常に俳句が好きであつた。子供であつた私は、かうした人と俳句を作ることが、恥しく思つて居た。さうするうち東京へ来て、中学校へ入学などして、正月の休みの時に帰省したりした。或時東京へ戻る途中藤田氏をお訪ねするために水戸へ下車した。すると、藤田氏が、
「小川君も次の汽車で牛久へ戻られるから、君もその汽車で行かれたら好都合です」
と言はれた。
「小川君とは俳人の方ですか」
と私は聞いた。芋銭先生が画家であることを知らなかつたからだ。
「いや、画家です。昨夕も大工町へ行つて酒に酔つて、芸者の半巾やいろいろなものへ河童を描いた。河童は天下一品です。お酒はいくらでも飲みます。この次の汽車ですから、君等をお送りして行かう」
 時間が来たので、いばらき新聞社を出た。新聞社から停車場は近い道のりである。果して芋銭先生が居られた。
「君どこへ行く」
 芋銭先生が、私にさう言つた。その時、初めてお目にかかつたのであつた。目がお悪かつたやうに記憶して居る。風采は画家らしくない。三十二三歳位ゐであつたらう。芋銭先生も私も三等車であつた。車中で芋銭先生は酒をとり出し、しきりに飲んだ。私にも
「酒はどうです」
と、すすめてくれた。
「飲みません」
と言ふと、
「こんなうまいものはない。酒を飲まぬとは、今の若いものは……」
などと、それから、いろんな話をした。俳句の話、絵の話、そして、この頃は絵を専門に描いて居ると言はれて居た。芋銭先生は牛久で下車された。これが最初の印象であつた。
 それから、幾年経たか、或ひは次の年位ゐか、はつきりしないが、江野村の井村氏を私は訪ふた。井村氏はよい人で、
「よく来てくれました。それでは俳友を集めよう」
と、私の来たことを人をして知らせたので、三四人直ぐに来たが、その中で透石と言ふ人は非常な俳論家で、子規や碧梧桐等のいろいろな話を聞かせてくれた。井村氏は子規居士の門下で江野村から東京迄歩いて来たのであつた。その井村氏が子規居士の短冊を持つて居られた。

山吹にふきとばさるる蝶々…

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