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鏡花との一夕
きょうかとのいっせき |
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作品ID | 33201 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 32」 中央公論社 1998(平成10)年1月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2004-01-14 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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他人にはないことか知らん。――私には、あんまり其があつて、あり過ぎて困つた癖だと、始中終それを気にして来た。聞いては見ぬが、大勢の中には、きつと同じ習慣を持つて居ながら、よく/\の場合の外、其に出くはさずじまひになる人が、可なりの人数はあるはずだと思ふ。
歩き睡りと言ふ、あれである。気をつけて居ると、大通りなどでも、どうかすると、ずつと道ばたに寄つて、こくり/\と頭をふらつかし乍ら行く子どもなどを見かけぬ訣でもない。
実は大分久しく、その習慣に遠のいて居た私だが、をとゝしの末に幾年ぶりかに行きあうて、其から暫らく、此が続いたので、どうも全く夜道などは、弱つてしまつたことだつた。
老いづけば、人を頼みて暮すなり。たゝかひ国をゆすれる時に
こんな歌を作つて、慰むともなく、苦しむともなく暮して居たのは、其年の暮れのことである。私などは今度の大戦争にすら、何の寄与することの出来ぬ、実に無能力な、国民の面よごしとも言ふべき生活より外に出来ぬ人間である。そんな間に、せめては自分の暮しのたそく――補足――になつてくれて居た若者を、いくさにやつて、自分戦ひの深さを痛感することが、さうして自身をいためつけることが、幾分でも、民族の共通の苦患を共感して居るのだといふ――ほんたうは、真実に苦しんでゐる世の中にとつては、何にもならぬことだが、――さう思ひ沁むことだけでも、世間並の生活に這入つてゐるやうな気がして居た。さう思うてなだめつけるやうな安らかさに住して居たが、からだはなか/\言ふことをきかなんだ。まづ第一に電話鈴が朝端から、其ははな/″\しく鳴り出す。物の本を買ふためや、其外の用で、ほんたうに頻繁に為替をくまねばならぬ。義理に書かずに居られぬ手紙の返事なども、どれ位あるか知れぬ。もつと困らされるのは、税金その他の日ぎりの冥加銭を納めに行くこと、さうせぬまでも、納めさせる用意を整へること、其も誰かにして貰うても、心づもり位はせねばならぬこと、そんなこんなの数へ難く尽し難い用事が、考へればまこと苦の世界と言ふ文字の感覚を数字に置き替へたやうにして、目のまへにづらりと列んで来る。
書生でも、女中でも乃至は雇人婆にでも出来さうな為事に、なぜひとり苦しんで居ねばならぬのか、思へば、台所にたつて、水道の水の荒さにきめをこはしたり、指に不断の切り疵を作つたりしても、肴に庖丁を入れたり、煮物の出来を期待しながら、自分が焚き立てる湯気にむれてゐるのなどは、ずつと楽しいものであつた。併し其も、言はず語らずからだに積つて来る困憊の種の、重要なものではあつたらしい。
ある冬の晩、寂しい宴会から更けて戻つて来た。電車駅から出た鋪装道路の上で、膝ががつくりと来た。又幾秒かおいて、がく/\とする。せずに居ようと思へば、出来さうな膝と膕の変な運動であつた。謂はゞその膝と膕とが、一つの頭のまはりであつて、其…