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雪中行
せっちゅうこう
作品ID3410
副題小樽より釧路まで
おたるよりくしろまで
著者石川 啄木
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第一巻 北海道 太古の原野に夢見て」 作品社
1986(昭和61)年6月10日
初出「小樽日報」1908(明治41)年
入力者mayu
校正者富田倫生
公開 / 更新2001-08-09 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(第一信) 岩見沢にて
 一月十九日。雪。
 僅か三時間許りしか眠らなかつたので、眠いこと話にならぬ。頬を脹らして顔を洗つて居ると、頼んで置いた車夫が橇を牽いて来た。車夫が橇を牽くとは、北海道を知らぬ人には解りツこのない事だ。そこ/\に朝飯を済まして橇に乗る。いくら踏反返つて見ても、徒歩で歩く人々に見下ろされる。気の毒ながら威張つた甲斐がない。
 中央小樽駅に着きは着いたが、少しの加減で午前九時の下り列車に乗後れて了つた。仕方なさに東泉先生のお宅へ行つて、次の汽車を待つことにする。馳せ参ずる人二人三人。暖炉に火を入れてイザ取敢へずと盃が廻りはじめる。不調法の自分は頻りに煙草を吹かす。話はそれからこれへと続いたが就中の大問題は僕の頭であつた。知らぬ人は知るまいが、自分の頭は、昨年十一月の初め鬼舐頭病といふのに取付かれたので、今猶直径一寸余の禿が、無慮三つ四つ、大きくもない頭に散在して居る。東泉先生曰く、君の頭は植林地か、それとも開墾地か、後者だとすれば着々成功して居るが、植林の方だと甚だ以て不成績ぢやないか!
 火を入れた暖炉の真赤になる迄火勢のよくなつた時は、人々の顔もどうやらほんのりと色づいて居た。今度こそは乗遅れぬやうにと再び停車場に駆け付ける。手にした切符は、
「ちうおうおたるよりくしろまで」
 客が少くて、殊に二等室は緩りとしたもの。汽笛の鳴る迄を先生は汽車衝突の話をされる。それは戦役当時の事であつたとか。先生自身と外に一人を除いては皆軍人許り、ヒヨウと気たたましい非常汽笛が鳴ると、指揮官の少尉殿は忽ち「伏せツ」と号令を下した、軍人は皆バタ/\と床に伏した。そのため、機関車は壊れ死傷者も数多くあつたけれど、この一室中の人許りは誰一人微傷だもしなかつたと云ふ。汽車に乗つたから汽車衝突の話をするとは誠にうまい事と自分はひそかに考へた、そして又、衝突なり雪埋なり、何かしらこんどの旅行記を賑はすべき事件が、釧路まで行くうちに起つて呉れゝばよいがと、人に知らされぬ危険な事を思ふ。
 午前十一時四十分。車は動き出して、車窓の外に立つて居た日報社の人々が見えなくなつた。雪が降り出して居る。風さへ吹き出したのか、それとも汽車が風を起したのか、声なき鵞毛の幾千万片、卍巴と乱れ狂つて冷たい窓硝子を打つ。――其硝子一重の外を知らぬ気に、車内は暖炉勢ひよく燃えて、冬の旅とは思へぬ暖かさ。東泉先生は其肥大の躯を白毛布の上にドシリと下して、心安げに本を見始める。先生に侍して、雪に埋れた北海道を横断する自分は宛然腰巾着の如く、痩せて小さい躯を其横に据ゑて、衣嚢から新聞を取出した。サテ太平無事な天下ではある。蔵逓両相が挂冠したといふ外に、広い世の中何一つ面白い事がない。
 窓越しに見る雪の海、深碧の面が際限もなく皺立つて、車輛を洗ふかと許り岸辺の岩に砕くる波の徂徠、碧い海の声の白さ…

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