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若菜のうち
わかなのうち |
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作品ID | 3426 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「鏡花短編集」 岩波文庫、岩波書店 1987(昭和62)年9月16日 |
初出 | 「大阪朝日新聞」1933(昭和8)年2月5日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 鈴木厚司、米田進 |
公開 / 更新 | 2003-05-01 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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春の山――と、優に大きく、申出でるほどの事ではない。われら式のぶらぶらあるき、彼岸もはやくすぎた、四月上旬の田畝路は、些とのぼせるほど暖い。
修善寺の温泉宿、新井から、――着て出た羽織は脱ぎたいくらい。が脱ぐと、ステッキの片手の荷になる。つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃でも小桜縅でも何でもない。茶縞の布子と来て、菫、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひらひらしている蝶々の袖に対しても、果報ものの狩衣ではない、衣装持の後見は、いきすぎよう。
汗ばんだ猪首の兜、いや、中折の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと撫でて、杖の柄に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、
「そこで端折ったり、じんじんばしょり、頬かぶり。」
と、うしろから婦がひやかす。
「それ、狐がいる。」
「いやですよ。」
何を、こいつら……大みそかの事を忘れたか。新春の読ものだからといって、暢気らしい。
田畑を隔てた、桂川の瀬の音も、小鼓に聞えて、一方、なだらかな山懐に、桜の咲いた里景色。
薄い桃も交っていた。
近くに藁屋も見えないのに、その山裾の草の径から、ほかほかとして、女の子が――姉妹らしい二人づれ。……時間を思っても、まだ小学校前らしいのが、手に、すかんぼも茅花も持たないけれど、摘み草の夢の中を歩行くように、うっとりとした顔をしたのと、径の角で行逢った。
「今日は、姉ちゃん、蕨のある処を教えて下さいな。」
肩に耳の附着くほど、右へ顔を傾けて、も一つ左へ傾けたから、
「わらび――……小さなのでもいいの、かわいらしい、あなたのような。」
この無遠慮な小母さんに、妹はあっけに取られたが、姉の方は頷いた。
「はい、お煎餅、少しですよ。……お二人でね……」
お駄賃に、懐紙に包んだのを白銅製のものかと思うと、銀の小粒で……宿の勘定前だから、怪しからず気前が好い。
女の子は、半分気味の悪そうに狐に魅まれでもしたように掌に受けると――二人を、山裾のこの坂口まで、導いて、上へ指さしをした――その来た時とおんなじに妹の手を引いて、少しせき足にあの径を、何だか、ふわふわと浮いて行く。……
さて、二人がその帰り道である。なるほど小さい、白魚ばかり、そのかわり、根の群青に、薄く藍をぼかして尖の真紫なのを五、六本。何、牛に乗らないだけの仙家の女の童の指示である……もっと山高く、草深く分入ればだけれども、それにはこの陽気だ、蛇体という障碍があって、望むものの方に、苦行が足りない。で、その小さなのを五、六本。園女の鼻紙の間に何とかいう菫に恥よ。懐にして、もとの野道へ出ると、小鼓は響いて花菜は眩い。影はいない。――彼処に、路傍に咲き残った、紅梅か。いや桃だ。……近くに行ったら、花が自ら、ものを言おう。
その町…