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半島一奇抄
はんとういっきしょう
作品ID3548
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成8」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日
入力者門田裕志
校正者林幸雄
公開 / 更新2001-09-17 / 2014-09-17
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「やあ、しばらく。」
 記者が掛けた声に、思わず力が入って、運転手がはたと自動車を留めた。……実は相乗して席を並べた、修善寺の旅館の主人の談話を、ふと遮った調子がはずんで高かったためである。
「いや、構わず……どうぞ。」
 振向いた運転手に、記者がちょっとてれながら云ったので、自動車はそのまま一軋りして進んだ。
 沼津に向って、浦々の春遅き景色を馳らせる、……土地の人は(みっと)と云う三津の浦を、いま浪打際とほとんどすれすれに通る処であった。しかし、これは廻り路である。
 小暇を得て、修善寺に遊んだ、一――新聞記者は、暮春の雨に、三日ばかり降込められた、宿の出入りも番傘で、ただ垂籠めがちだった本意なさに、日限の帰路を、折から快晴した浦づたい。――「当修善寺から、口野浜、多比の浦、江の浦、獅子浜、馬込崎と、駿河湾を千本の松原へ向って、富士御遊覧で、それが自動車と来た日には、どんな、大金持ちだって、……何、あなた、それまでの贅沢でございますよ。」と番頭の膝を敲いたのには、少分の茶代を出したばかりの記者は、少からず怯かされた。が、乗りかかった船で、一台大に驕った。――主人が沼津の町へ私用がある。――そこで同車で乗出した。
 大仁の町を過ぎて、三福、田京、守木、宗光寺畷、南条――といえば北条の話が出た。……四日町を抜けて、それから小四郎の江間、長塚を横ぎって、口野、すなわち海岸へ出るのが順路であった。……
 うの花にはまだ早い、山田小田の紫雲英、残の菜の花、並木の随処に相触れては、狩野川が綟子を張って青く流れた。雲雀は石山に高く囀って、鼓草の綿がタイヤの煽に散った。四日町は、新しい感じがする。両側をきれいな細流が走って、背戸、籬の日向に、若木の藤が、結綿の切をうつむけたように優しく咲き、屋根に蔭つくる樹の下に、山吹が浅く水に笑う……家ごとに申合せたようである。
 記者がうっかり見愡れた時、主人が片膝を引いて、前へ屈んで、「辰さん――道普請がある筈だが前途は大丈夫だろうかね。」「さあ。」「さあじゃないよ、それだと自動車は通らないぜ。」「もっとも半月の上になりますから。」と運転手は一筋路を山の根へ見越して、やや反った。「半月の上だって落着いている処じゃないぜ。……いや、もうちと後路で気をつけようと、修善寺を出る時から思っていながら、お客様と話で夢中だった。――」「何、海岸まわりは出来ないのですかね。」「いいえ、南条まで戻って、三津へ出れば仔細ありませんがな、気の着かないことをした。……辰さん、一度聞いた方がいいぜ。」「は、そういたしましょう。」「恐ろしく丁寧になったなあ。」と主人は、目鼻をくしゃくしゃとさせて苦笑して、茶の中折帽を被り直した。「はやい方が可い、聞くのに――」けれども山吹と藤のほか、村路の午静に、渠等を差覗く鳥の影もなかった。そのかわり、町の出はずれを国道…

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