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草迷宮
くさめいきゅう |
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作品ID | 3586 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「泉鏡花集成5」 ちくま文庫、筑摩書房 1996(平成8)年2月22日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 高柳典子 |
公開 / 更新 | 2003-09-07 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 148 ページ(500字/頁で計算) |
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向うの小沢に蛇が立って、
八幡長者の、おと娘、
よくも立ったり、巧んだり。
手には二本の珠を持ち、
足には黄金の靴を穿き、
ああよべ、こうよべと云いながら、
山くれ野くれ行ったれば…………
一
三浦の大崩壊を、魔所だと云う。
葉山一帯の海岸を屏風で劃った、桜山の裾が、見も馴れぬ獣のごとく、洋へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分、人死のあるのは、この辺ではここが多い。
一夏激い暑さに、雲の峰も焼いた霰のように小さく焦げて、ぱちぱちと音がして、火の粉になって覆れそうな日盛に、これから湧いて出て人間になろうと思われる裸体の男女が、入交りに波に浮んでいると、赫とただ金銀銅鉄、真白に溶けた霄の、どこに亀裂が入ったか、破鐘のようなる声して、
「泳ぐもの、帰れ。」と叫んだ。
この呪詛のために、浮べる輩はぶくりと沈んで、四辺は白泡となったと聞く。
また十七ばかり少年の、肋膜炎を病んだ挙句が、保養にとて来ていたが、可恐く身体を気にして、自分で病理学まで研究して、0,[#「,」は天地左右中央]などと調合する、朝夕検温気で度を料る、三度の食事も度量衡で食べるのが、秋の暮方、誰も居ない浪打際を、生白い痩脛の高端折、跣足でちょびちょび横歩行きで、日課のごとき運動をしながら、つくづく不平らしく、海に向って、高慢な舌打して、
「ああ、退屈だ。」
と呟くと、頭上の崖の胴中から、異声を放って、
「親孝行でもしろ――」と喚いた。
ために、その少年は太く煩い附いたと云う。
そんなこんなで、そこが魔所だの風説は、近頃一層甚しくなって、知らずに大崩壊へ上るのを、土地の者が見着けると、百姓は鍬を杖支き、船頭は舳に立って、下りろ、危い、と声を懸ける。
実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研を俯向けに伏せたようで、跨ぐと鐙の無いばかり。馬の背に立つ巌、狭く鋭く、踵から、爪先から、ずかり中窪に削った断崖の、見下ろす麓の白浪に、揺落さるる思がある。
さて一方は長者園の渚へは、浦の波が、静に展いて、忙しくしかも長閑に、鶏の羽たたく音がするのに、ただ切立ての巌一枚、一方は太平洋の大濤が、牛の吼ゆるがごとき声して、緩かにしかも凄じく、うう、おお、と呻って、三崎街道の外浜に大畝りを打つのである。
右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、浦には白帆の鴎が舞い、沖を黒煙の竜が奔る。
これだけでも眩くばかりなるに、蹈む足許は、岩のその剣の刃を渡るよう。取縋る松の枝の、海を分けて、種々の波の調べの懸るのも、人が縋れば根が揺れて、攀上った喘ぎも留まぬに、汗を冷うする風が絶えぬ。
さればとて、これがためにその景勝を傷けてはならぬ。大崩壊の巌の膚は、春は紫に、夏は緑、秋紅に、冬は黄に、藤を編み、蔦を絡い…