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![]() ぎけつきょうけつ |
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作品ID | 363 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「高野聖」 角川文庫、角川書店 1971(昭和46)年4月20日改版初版 |
初出 | 「読売新聞」1894(明治27)年11月1日~30日 |
入力者 | 真先芳秋 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 1999-10-23 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 69 ページ(500字/頁で計算) |
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一
越中高岡より倶利伽羅下の建場なる石動まで、四里八町が間を定時発の乗り合い馬車あり。
賃銭の廉きがゆえに、旅客はおおかた人力車を捨ててこれに便りぬ。車夫はその不景気を馬車会社に怨みて、人と馬との軋轢ようやくはなはだしきも、わずかに顔役の調和によりて、営業上相干さざるを装えども、折に触れては紛乱を生ずることしばしばなりき。
七月八日の朝、一番発の馬車は乗り合いを揃えんとて、奴はその門前に鈴を打ち振りつつ、
「馬車はいかがです。むちゃに廉くって、腕車よりお疾うござい。さあお乗んなさい。すぐに出ますよ」
甲走る声は鈴の音よりも高く、静かなる朝の街に響き渡れり。通りすがりの婀娜者は歩みを停めて、
「ちょいと小僧さん、石動までいくら? なに十銭だとえ。ふう、廉いね。その代わりおそいだろう」
沢庵を洗い立てたるように色揚げしたる編片の古帽子の下より、奴は猿眼を晃かして、
「ものは可試だ。まあお召しなすってください。腕車よりおそかったら代は戴きません」
かく言ううちも渠の手なる鈴は絶えず噪ぎぬ。
「そんなりっぱなことを言って、きっとだね」
奴は昂然として、
「虚言と坊主の髪は、いったことはありません」
「なんだね、しゃらくさい」
微笑みつつ女子はかく言い捨てて乗り込みたり。
その年紀は二十三、四、姿はしいて満開の花の色を洗いて、清楚たる葉桜の緑浅し。色白く、鼻筋通り、眉に力みありて、眼色にいくぶんのすごみを帯び、見るだに涼しき美人なり。
これはたして何者なるか。髪は櫛巻きに束ねて、素顔を自慢に※脂[#「月+因」、6-15]のみを点したり。服装は、将棊の駒を大形に散らしたる紺縮みの浴衣に、唐繻子と繻珍の昼夜帯をばゆるく引っ掛けに結びて、空色縮緬の蹴出しを微露し、素足に吾妻下駄、絹張りの日傘に更紗の小包みを持ち添えたり。
挙止侠にして、人を怯れざる気色は、世磨れ、場慣れて、一条縄の繋ぐべからざる魂を表わせり。想うに渠が雪のごとき膚には、剳青淋漓として、悪竜焔を吐くにあらざれば、寡なくも、その左の腕には、双枕に偕老の名や刻みたるべし。
馬車はこの怪しき美人をもって満員となれり。発車の号令は割るるばかりにしばらく響けり。向者より待合所の縁に倚りて、一篇の書を繙ける二十四、五の壮佼あり。盲縞の腹掛け、股引きに汚れたる白小倉の背広を着て、ゴムの解れたる深靴を穿き、鍔広なる麦稈帽子を阿弥陀に被りて、踏ん跨ぎたる膝の間に、茶褐色なる渦毛の犬の太くたくましきを容れて、その頭を撫でつつ、専念に書見したりしが、このとき鈴の音を聞くと斉しく身を起こして、ひらりと御者台に乗り移れり。
渠の形躯は貴公子のごとく華車に、態度は森厳にして、そのうちおのずから活溌の気を含めり。陋しげに日に[#挿絵]みたる面も熟視れば、清※明眉[#「目+盧」、7-12]、相貌秀で…