えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
妖僧記
ようそうき |
|
作品ID | 3650 |
---|---|
著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「泉鏡花集成4」 ちくま文庫、筑摩書房 1995(平成7)年10月24日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 今井忠夫 |
公開 / 更新 | 2003-09-09 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
一
加賀の国黒壁は、金沢市の郊外一里程の処にあり、魔境を以て国中に鳴る。蓋し野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。
ここに摩利支天を安置し、これに冊く山伏の住える寺院を中心とせる、一落の山廓あり。戸数は三十有余にて、住民殆ど四五十なるが、いずれも俗塵を厭いて遯世したるが集りて、悠々閑日月を送るなり。
されば夜となく、昼となく、笛、太鼓、鼓などの、舞囃子の音に和して、謡の声起り、深更時ならぬに琴、琵琶など響微に、金沢の寝耳に達する事あり。
一歳初夏の頃より、このあたりを徘徊せる、世にも忌わしき乞食僧あり、その何処より来りしやを知らず、忽然黒壁に住める人の眼界に顕れしが、殆ど湿地に蛆を生ずる如く、自然に湧き出でたるやの観ありき。乞食僧はその年紀三十四五なるべし。寸々に裂けたる鼠の法衣を結び合せ、繋ぎ懸けて、辛うじてこれを絡えり。
容貌甚だ憔悴し、全身黒み痩せて、爪長く髯短し、ただこれのみならむには、一般乞食と変わらざれども、一度その鼻を見る時は、誰人といえども、造化の奇を弄するも、また甚だしきに、驚かざるを得ざるなり。鼻は大にして高く、しかも幅広に膨れたり。その尖は少しく曲み、赤く色着きて艶あり。鼻の筋通りたれば、額より口の辺まで、顔は一面の鼻にして、痩せたる頬は無きが如く、もし掌を以て鼻を蔽えば、乞食僧の顔は隠れ去るなり。人ありて遠くより渠を望む時は、鼻が杖を突きて歩むが如し。
乞食僧は一条の杖を手にして、しばらくもこれを放つことなし。
杖は※状[#「かぎかっこ、「、の左右反転」、137-5]の自然木なるが、その曲りたる処に鼻を凭たせつ、手は後様に骨盤の辺に組み合せて、所作なき時は立ちながら憩いぬ。要するに吾人が腰掛けて憩うが如く、乞食僧にありては、杖が鼻の椅子なりけり。
奇絶なる鼻の持主は、乞丐の徒には相違なきも、強ち人の憐愍を乞わず、かつて米銭の恵与を強いしことなし。喜捨する者あれば鷹揚に請取ること、あたかも上人が檀越の布施を納むるが如き勿体振りなり。
人もしその倨傲なるを憎みて、些の米銭を与えざらむか、乞食僧は敢て意となさず、決してまた餓えむともせず。
この黒壁には、夏候一疋の蚊もなしと誇るまでに、蝦蟇の多き処なるが、乞食僧は巧にこれを漁りて引裂き啖うに、約ね一夕十数疋を以て足れりとせり。
されば乞食僧は、昼間何処にか潜伏して、絶えて人に見えず、黄昏蝦蟇の這出づる頃を期して、飄然と出現し、ここの軒下、かしこの塀際、垣根あたりの薄暗闇に隠見しつつ、腹に充たして後はまた何処へか消え去るなり。
二
ここに醜怪なる蝦蟇法師と正反対して、玲瓏玉を欺く妙齢の美人ありて、黒壁に住居せり。渠は清川お通とて、親も兄弟もあらぬ独身なるが、家を同じくする者とては、わずかに一人の老媼あるのみ、これその婢なり。
お通は清…